DAY364 繊細で傷つきやすくて、とっくに傷だらけの自分を認めて癒してあげよう。

わたしは自分の繊細さを知っている割に、それを認めることをしていないのだな、ということに気がついた。

心地よさに身を置いていたせいで、繊細なままでも生きられるような気がしていた。
その無防備さのまま、心地よさから外れた瞬間、強烈な違和感と怒りと哀しみが襲い掛かってきた。

無意識レベルの防御反応で、泣きたくなる気持ちを堪えてたし、この場を立ち去りたい気持ちも我慢した。つまり本当は、泣きながらその場から逃げ去りたかったのだ。
そして厄介なことに、本当の自分にダメ出しして、泣かなかったこと逃げなかったことを褒める。いや、違うだろ?本当の気持ちを認めてあげることが大事だろうよ!

ここで泣いたら負けだとか、逃げたらかっこ悪いとか、そんな言い訳をして、繊細な自分を認めないまま生きてきた。
傷ついてるのに、傷があるのは勲章だと言わんばかりに強がって、痛くない振りをして必死で生きてきた。満身創痍だっつーの!

もしもわたしが、強い人間だなんて思っているのなら、それはわたしが一生懸命に創り上げてきた虚像に過ぎない。
わたしのハートは、薄いガラスよりも繊細で壊れやすいし、弱さを見せたくないがために一生懸命に強がって吠える。
繊細だってバレたら、実はとっくに傷だらけだってバレたら。そう思うと怖すぎる。だから自分で無傷で頑丈な振りをする。

いや、実はとっくにバレているとは思うのだ。カツラ被ってる人の盛大な違和感とおんなじで、ほんとは繊細で傷だらけだよね?って気付かれている気がしている。
わたしの本質を理解している人には、きっとそんな傷だらけの部分さえもさらけ出せるのかもしれない。

好きな人に連絡をして既読スルーのままなことも、ほんとうはものすごく傷ついている。
でも平気な振りをして生きている。返事が来なくて当たり前だもんね、なんて言って、哀しませないように予防線を張っている。
いや、ものすごく哀しいし傷ついている。それをきちんと認めてあげたいな、と思った。

ここ最近、望まない現実を引き寄せている感覚がある。いや、望む現実も同時に引き寄せつつあるのだけど。望まない現実のほうは、「本当は何を望んでいるの?」という問いかけに過ぎない。

わたしは繊細で傷つきやすくて、なんなら傷だらけでもはや満身創痍の自分を認めてあげたい。傷つかないことを望むんじゃなくて、傷だらけの自分のまんまで、堂々と生きて、堂々と引きこもれるようになりたい。

弱いこと、繊細なこと、傷だらけなこと。
そんな自分を出したら、悲劇のヒロイン気取ってんじゃねぇわ!みたいな反論を受けそうな気がして生きていた。
ジャンヌダルクみたいに、強くてカッコよく闘いに挑みたかった。到底無理なのだが。

弱い自分をさらけ出せたら、ある意味それが最強って話でもある。弱くてカッコ悪くて、悲劇のヒロインみたいな、お豆腐メンタルのわたしだけれど。
もうこれ以上、強がって生きるのはやめにしようと誓う。

泣きたいときは泣くし、逃げたいときは全力ダッシュで逃げる。それが叶わないときも、その気持ちに全力で寄り添ってあげよう。

盛大に傷ついてるんだよ、今のわたし。ちゃんと傷を見て、お手当てしてあげよう。自分の傷を癒せるのは、自分しかいない。

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