闇を否定してしまったら光をも失ってしまうだろう。
すべては
愛と光である
その言葉に
やや否定的な自分がいる
そして
ねぇすべては愛と光だよ!(キラキラ)
と言ってる自分を想像すると
むりむりむり、と
拒絶反応を起こしてしまうのだ
今日は面白いことに
zoom3本立ての日だった
最初は
アマラ京子さんが主催の
オリン瞑想会
ここでまさかの
愛と光というワードを
耳にしたのだ
しかし
京子さんから聞くワードは
そんなに違和感なく受け取れた
思えばここにすべての
伏線があった気がする
瞑想後は
2本のセッションを受けた
どちらも翔太塾の先輩で
潜在意識と繋がる内容だった
土日の翔太塾では
自分が見せたくないと思う部分
についての棚卸しがあって
ネガティブなわたし
陰キャなわたし
毒舌なわたし
が出てきていた
そしてセッションでは
本音を伝える自分
100パー自己表現する自分
みたいなのが出てきて
わたしが
ネガティブな本音を言うと
殺傷能力があるから言えない!
という強いビリーフを
改めて再認識した
『デスノート書くといいよ』
というアドバイスを受けて
日頃感じていた心の闇を
思いつくまま自由に書き殴ってみた
あの人って実際こんな人だし
あの人は今こんな状態だよね
みたいな感じで
その人が隠しているであろう
裏側の本質みたいなのが見えたり
あの人のこういうとこムカつく
あの人っていつもこうなんだよなぁ
みたいな悪口もでてくる
その後も
某所のインチキ臭さへの文句とか
ふわスピ界隈への悪態をついたりとか
いろいろ書いていくうちに
出てきた言葉があった
愛と光ばっか見てないで
ちゃんと闇を愛しやがれ!
闇を愛せ
闇をちゃんと見ろ
闇は暖かくて優しい
などと
とにかく闇推しな言葉が
やたらと出てきたのだ
そうして
落書き帳1ページを埋める頃には
ものすごい充足感で
魂が喜んでるのが分かった
地球上にいる限り
光と闇は常にセットだ
それを分かっている人が言う
愛と光って言葉には
特に嫌な気持ちにはならない
闇は排除すべきで
愛と光しか勝たん!
と言ってる人に対しては
お前の言う愛と光なんてもんは
随分と薄っぺらいなー(毒)
と思ってしまうのだ
だから京子さんの言葉には
抵抗がなかったんだろうと思う
全然薄っぺらい人じゃないから
闇については
まだまだ書きたいことが
山ほどある
ネガティブで陰キャで闇推し
そんなわたしだからこそ
伝えたいことがたくさんあるみたいだ