DAY324 いつうっかり天国行きになっても大丈夫にしておきたい(終活)。

先日、お弟子とランチをしていたとき、終活の話をした。

モノがなかなか捨てられないという彼女だけど、わたしはと言えば、比較的捨てたいタイプ。で、基準になる事柄が、自身の死後だ。

何歳まで生きるかは定かではない。でも人はいつか必ず死を迎える。そして、遺された人が遺品の片付けをすることになるだろう。
その人たちに迷惑を掛けたくない、なんて綺麗な理由ではない。その人たちに、わたしがうっかり遺したものを見られたくないのだ!

例えば、掃き溜めのようなノート。もはやデスノート化している(いや、呪ってまではいないけど)。めっちゃ黒い感情を日々書き出しているノートを見られたら、と思うと死んでも死にきれないし、あの世からヤキモキするだろう。

まさに手も足も出せないから、おそらくラップ音くらいは出すかもしれない。笑

死後、頼んでもないのに偉人となってしまった、地元盛岡の石川啄木。まさか自分と誰かがやり取りした手紙が、死んでから晒されるとか、思いもしなかっただろう。
仮に自分が死後うっかり偉人扱いされてしまうことがあったら、わたしのデスノートが記念館に展示されて不特定多数に晒されてしまうのだ。怖い!怖すぎる!死人に口なしとは言え、死して尚そんな目に遭いたくはない!

お弟子と話したとき、でもデスノートはまだ机の中に置きっぱなしだという事実。仮に帰宅途中で天国行きになったら、やっぱり誰かに見られてしまう可能性大だ!ヤバ!

ということで、最善の方法を考えてみた。
書き出さないということは、まず不可能である。アウトプットすることで心が軽くなるのだから、書き出して可視化するのは必須。
または人と話すというのもアリだ。でもその際、話し相手は選ばなければならない。聞いてもらう筈が、逆に聞かされることもありがちだし、否定されてしまったら意味がない。
デジタルコンテンツに書き出すのも、手書きと同じことだ。実際iPhoneの〈ジャーナル〉を使って、アレコレ書いている。これも見られたくない!

で、結論。
毎日紙に書いてお焚き上げ。

溜めずに書いて燃やすのが一番効率的。一緒に昇華される感じがする。ただし火の用心である。
ビリビリに破り捨てるのもアリかもしれないけれど、その際にはお清め塩も一緒に撒きたいところ。

ていうか、今あるデスノートも早々にお焚き上げさせたいけれど、ノートを燃やすには火の勢いがありそうなので破り捨ててみよう。

明日死んでもクリーンなわたしでありたい。そのための終活だ。誰かに何かを遺す必要も特にないのだから、心置きなく軽くしておきたいのだ。

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