DAY369 願いは常に叶っている、たとえ壮大なコントだとしても。

会いたいと願っている人に連絡して、返信が来ないので催促してみたら、案の定会えない旨の返信が来た。

まぁここで〈案の定〉と思っている時点で、わたしの願いは叶っている。会えないのを分かっていて、敢えて会いたいと願って、会えなくて哀しいという願いを叶えるところまでがセット、という壮大なコントである。

会いたい、という願望すら、会えるかもしれないという希望的観測からくるものと、会えなくて哀しいという、悲観的渇望からくるものでは意味が変わってくる。
希望的観測で会いたいが叶ったのは、先日の坂爪さんのパターンで、今回は悲観的渇望が見事に叶ったパターンだ。

願いって結局のところ、いつも叶っている。会いたい人に会えなくて哀しい、という気持ちを味わうために、わざわざ自分で仕込んで叶えている。でもその横で、どうせ返信すらない、という思い込みから〈返信が来た〉という嬉しい出来事が起こっている。
たとえこちらから要求したとは言え、だ。

大きな願望(に見えて実は壮大なコント)に気を取られ、ほんとうは叶っている小さ(そうに思えて実はとても大事)な願望を見落としがちになる。
会えなかったけれど、連絡は取れた。投げたボールは、嬉しい形ではないにせよ、投げ返されてきたのだ。

そして何より、その返信の内容というか、言葉の選びかたが絶妙すぎて、この人はちゃんと冷静に考えて言葉を使う人なんだな、と改めて感じた。

会いたいという内容のメッセージに対し、会えないでも、会いたくないでもなく、会いません、という意思表示。
嫌いだとしたら、会いたくないという返信でもいいはずなのに。かと言って、会えないという返信は、ほんとうは会いたいというニュアンスを残してしまう。
会いません、ってそのどちらでもなくて、感情を一切合切封じ込めた、最強のひと言だ。

もちろん、会うことが叶わないという事実には変わりはないから、やっぱりそこは哀しいのだけれど。この人なりの意志を感じて、そういうところが好きだなぁと改めて思ったのだった。

いつの日にか会えることがあるのか、今は分からないけれど。希望的観測で機会が訪れるのを待ち続けてみたいな、と思っている。

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