DAY316 デザイナーを養成したい、自分の中にある圧倒的な動機。

グラフィックデザイナーを育てたいと思い、養成を始めようと考えている。
自分のスキルを、必要な人にお渡ししたいと思っているし、デザイナーが増えてくれることや、デザインを知り、デザインを好きになってくれる人が増えてくれたらこの上なく嬉しい。

でも、それだけでは動機が弱いんだな、と思っていて。デザイナーが増えてくれることや、デザインを好きになる人が増えるのならば、別にわたしでなければならない理由なんて存在しない。
わたしから直接デザインを学ぶことに対する圧倒的な動機が必要だ。

それを考え始めたとき、ひとつの仮説に辿り着いた。
わたし自身が、わたしのデザインを学びたくなるほどに、自分自身に熱狂している必要がありそうなのだ。

そうそう!こんなデザインの仕事がやりたいんだよ!みたいな感情。

で、こんな、とは?という話。

わたしのデザインは、恐らく目立つほどに個性的ではないと思っている。ひと言で言うなら、奇をてらわない。
奇抜さや、イマドキなオシャレさなどは持ち合わせていない。そのかわり、わたしのデザインは普遍性を持っているだろう。

流行り廃りは、どんな時代にも存在する。勿論、クライアントさんの意図に合わせ、流行りのものを取り入れることもなくはない。
でも、そんな流行りに流されない、その人らしいデザインがしたい。

ブランディングも然りで、今の時代ならこんな見せ方で、みたいなことはしたくない。その人の在り方にマッチした魅せ方を採用したいのだ。

どんなときでも、クライアントさんの本質部分がベース。それを過不足なく表現できるのが、わたしのデザインなのではないか、と思っている。

勿論、若かりし頃ハウスデザイナーだったときは、今はブルーが気分ですとばかりに、どんな成果品もブルーベースだったり、お気に入りのフォントを多用したり、なんてこともあった。
でも、 デザインの本質に気づいてからは、そんな間違いをおかすことはなくなった。

先日耳にした話で、とあるデザイン系の専門学校では現役デザイナーさんが講師として最新の技術を教えてくれるらしいのだが、ミテクレばかりが先行して、肝心な基礎基本が抜けているらしい。
カッコイイデザインは飛びつきやすいし真似したがるけれど、長年社会で活躍していくため本当に学ぶべきは、地味な基礎基本のデザイン、つまり本質的な部分なのだ。

わたしはそんな基礎基本、デザインとは、みたいなことを真っ先に教えたいと思っている。デザイナーってカッコイイ、センス良いなんて思っている人たちからすれば、ガッカリするほど地味なところからのスタートだ。

キラキラでオシャレなデザイナーというより、燻し銀の職人を育てるようなイメージ。うっかり間違えてわたしのところにキラキラを求めてきたら、驚くほど落胆するに違いない。

でもさ、デザインの仕事ってめっちゃ社会貢献なんだよ。経営の車輪の片方を担ってるんだよ!売上を左右するし、人の心を動かすし、ひいては世の中を動かすチカラがある。

自分が手掛けた成果品を、店頭や街角で見かけたときの感動。誰かが商品を手にしているのを見たときの感動。テレビで紹介されてるのを見たときの感動。その喜びは、マジでひとしお!
そして、クライアントさんに感謝されることと、クライアントさんの業績がアップしてくれること。それが見られるのが、最高の喜びだ。

と、ここまで書いて、わたしデザインの仕事してきて、本当にしあわせだなぁと改めて思えた。会社員時代も含めて、たくさん学ばせてもらえて、たくさん経験させてもらえて、たくさん失敗もして、たくさんの人と出会えて、たくさんの成果品を生み出せた。
いや、まだ今も生み出しているけど。

こんな、最高にやり甲斐しかないデザインの仕事。やりたくない理由なんてひとつもないのだが!

わたし自身はやり切った感があるので、ブランド支援とアートディレクター側に進もうと思っている。

こんなわたしから、学びたいと思える人との出会いを楽しみにしている所存!

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