DAY337 面白さの秘密を自己探究した途端に面白さが消滅する説。

誰かと話しているとき、わたしは何故か「表現が面白い」と言われることが多い。
自分としては至って普通の表現をしているつもりなのだが、どうやら何かが面白いことになっているようなのだ。

で、自分の「表現の面白さ」について調べてみたいな、と思ったことがある。みんなはどの文脈を面白いと感じているのだろうか?と。

でも、重要な仮説が出てきた。
それは「わたしがその面白さに気づいていないからこその面白さなのではないか説」だ。
つまり、わたしが面白さに気づいてしまったら、もう二度とその面白さを出すことはできないということだ。なんという危険性!

所謂、天然さんと呼ばれる人が、自分の天然さを研究した結果、それを意図的に出そうとすることは、もはや天然ではなく養殖技術である。そして天然とは違うが故に、反応を狙いに行くことになる。それって全然天然さんじゃないじゃんよ!という話。

多分わたしの表現の面白さも、そんな天然要素と似たものなのだろう。知りたいけれど、知ったらアイデンティティの崩壊が起こり得る危険なゾーン。あー、にくい!

今日やまけんさんに、わたしの文章は強みだと言われたのだが、これもまた強みを意識して書こうとすればするほど、強みから遠ざかって行く気がしていて。
へぇ、強みねー!ホジホジ。くらいの気持ちで、やりたいように、書きたいように、自分の気持ちに正直に、文章を書き続けようと思う。

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