DAY343 感情ではなく体験を共有すること。

今日は久しぶりに山歩き。
いい天気で、15時までフリーだったため、ちょっと八幡平まで車でひとっ走り。

いい天気すぎる

紅葉は終わり、針葉樹の緑と青空が鮮やかだった。

初夏はドラゴンアイとして有名な鏡沼

五感をフルに使って歩く、ということを意識してみた。シーズンオフに近い平日ということもあり、ひと気はまばら。夏場とは違って鳥のさえずりも聴こえない。静寂!

すれ違う人さえいない道を歩くのは、少し怖ささえ感じた。熊避け鈴を鳴らしながらも、笹林の向こう側にもしかしたら〈誰か〉がいるかもしれないと思ってしまう。
その怖さも束の間、向こう側から下山してくる人を見て安心した。混み合う山は苦手だけども、誰にも会わないのも苦手だ。

静寂に耳を澄まし、風の冷たさを感じ、太陽の暖かさを感じる。山がもたらす匂いを吸い込み、石畳の道を踏み締める。水面にはキラキラとした光が広がって美しい。眺めているだけで幸せな気持ちになった。

まばゆい光の粒たち

今年は全然山歩きができていなかった。それこそ、ドラゴンアイを見に来た以来な気がしている。6月以来?
自然の中に身を置く、と言いつつ、八幡平のコースは人の手によって丁寧に整備されているのだが、それでも普段感じることのない山のエネルギーに身を置けたのが、とても気持ち良かった。

頂上で自撮り。

2年前は、元彼さんと山歩きを楽しんでいた。八幡平、安比のブナ二次林、姫神山、鞍掛山と、比較的歩きやすいコースを選んで一緒に歩いた。

山歩きの良さは、直接体感に繋がること。山歩きで得られるのって、楽しさだけではなくて、空気のおいしさ、空の気持ちよさ、脚から伝わる山の厳しさ、樹木や落ち葉の種類、岩の大きさ、そういったものたちを観察し体感することによる、複合的なJOYだ。
山歩きしてない人に、そのJOYを言葉で伝えるのは難しいからこそ、一緒に体感したいと思ったのだ。

一緒に歩いて、それぞれがそれぞれに体感することで、得られるものも違うわけで。でもわざわざ言葉で互いに説明しなくても、「なんか楽しかったね!」だけでいいのかもしれないな、と今は思う。

感情を共有することは、できそうでできないのがセオリーなのかもしれない。でも体験を共有して、それぞれに体感を得ることって、なんか実は感情を共有するより尊いことなのかもしれないな、と思うのだ。
その最たるものが、まぐわいなのなもしれない。

感情を共有するために行動を共にするのは難しいけれど、体験そのものを共有するために行動を共にするなら、それはぜひそうしたいと願う。互いが互いのJOYに浸れるのが、実は一番最高なんだと思う。

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