「ito therapyの舞台」のこと
ito therapyはイメージの世界です。
ですが、単に「イメージの世界」と言われても、
そして、「イメージの世界」で「自由に」発想を膨らませてと言われても、
そこにすっと入り込めるかというと、なかなか無理があるな、と
私も思います。
「想像の世界」に行き慣れている人、
「想像の世界」なんて馴染みもない人、
人それぞれいらっしゃいます。
また、難しいのが「自由」という概念。
「自由」にやっていいよ!
と言われて、本当に自由にできる人がどれだけいるでしょうか。
「自由」って、案外難しいものです。
私はアートワークを学ぶ中で感じたことがあります。
それは、「自由は不自由の中にあってこそ実感しやすい」ということ。
「自由」しかなかったら、「自由」を体感として感じにくい。
けれど、ある程度の「不自由さ」を感じる上での「自由」ならば、
まだいくらか感じることができる。
「自由をやる」
「自由で在る」
ために、もうひとつ大切なことがあります。
それは、安全な場を構築された環境で、やること。 在ること。
「ある程度の不自由さ」と、「安全の確保」。
そう考えたとき、
セッションをする環境を設定すること、
その環境は「森」であること、
というところへ辿り着きました。
ito therapyはイメージの世界です。
イメージの世界を探求していく場所は、
参加するみなさまそれぞれがイメージする「森」です。
と、ここまでが、
「ある程度の不自由さ」(舞台は森であるという制限)と
「安全の確保」(いかようにも思い描ける一方で、過度にイメージが暴走することもない「森」という自然物)
としての、「森」。
そして、ここからは
ito therapy session のイメージの森
のお話し。
前の記事で、ito therapy sessionには森林セラピーの要素を取り入れていることをお伝えしました。
できれば森の中でワークができたら素敵だということも書きました。
その素敵な舞台を今はまだ実際にご用意できないこともあり、
けれども森林セラピーのもたらす「森の癒し」も取り入れたい。
ならば、各々のイメージの中に「森」を創り上げましょう。
というわけで、
ito therapy sessionを行う舞台を「itoの森」と名付けました。
意図の森。
魂の意図を探求する森。
参加者それぞれのイメージする、「私の森」がセッションの舞台です。
ito therapyでは、個人セッション・グループセッションにかかわらず、
自己対話がテーマです。
同じ場所にいながらも、それぞれの「itoの森」で「私の探求」が繰り広げられていきます。
セッションでは、
セラピストと1対1ならばセラピストの、
仲間がいるならば仲間の声を聴きながら、
あるいは仲間に声をかけながら、
タロットが見せる潜在意識の声を聴きながら、
アートが見せる心の内を見つめながら、
その都度ふと降りてくる「私の声」にアプローチしていくということを重ねていきます。
itoの森の中には、心の湖があります。
その湖は、「私の心」の泉です。
湖面にランダムに浮かぶ「直感」や「気づき」
空中にふわふわと浮遊する「予感」や「きっかけ」
それらを言葉にしたり、アートで表現していくことで、
自分自身で「確信」したり、
仲間たちの声によって新たな「発見」にもなっていく。
itoの森は、いつでもすぐそこにあります。
一度体験したなら、何度でもその森へ入り、
自己対話の舞台となるのです。
ito therapyは、セッションの時間だけに留まりません。
itoの森で対話を重ね、「私の声」を聴き、
「本当の願い」に辿り着いたその先に、
「私らしい生き方」はもうすぐそこに出来上がっているのです。
「私らしい」のその先へ。
ito therapy
運命を回し始めよう。
ito therapy session - 輝く未来へ~art&tarotで「私らしい」に出会う旅 (jimdofree.com)