申立書を出さないと始まらない。のだけれども。
書けない書きたくない向き合いたくないでも書かなきゃ。
そんな時のパワーチャージの方法の一つに、Facebookを覗いて普段の日常を生きている人の楽しさとか潤いとかを垣間見たりすることがある。
音楽や映画や書籍の投稿を楽しんで、遠くに住む人の様々な想いや考えていることに共感したり、違う立場からの見方考え方に触れる。視野狭窄に陥りがちな籠った自分に煮詰まったら、地域と世代とバックグラウンドを越えた他者の視点に助けられてきた。
世はコロナ禍にあってもゴールデンウィーク。旧友のえっちゃんからナナフシ観察と野いちごの秘境wへのお誘いをも泣く泣く断って、私は財産分与の申立書を作成しないといけないのだ。
自身で書く申立書が最難関だった。何せ、30年分のDVや生活状況を記さねばならない。
しかも誰も知らない真実の苦しさや辛さを明文化し文章にするために、今まで、思い出さないこと、フォーカスしないこと、反芻しないこと、重要視しないことを自らに課して生きてきた身には困難な作業としか言えないのだ。
対峙するたびに思考停止に陥り脳がバグるシャットダウンする、フラッシュバックを起こす。見えてなかった、みてなかった現実と本質が露わになる。
何度書いても、そんな言葉では到底言い表せない、そんなんじゃない。という憤りに似た想いが湧き上がり、なにか重要なことを取りこぼしているのではないかという不安が募り、そわそわと落ち着かない。
今までの出来事を時系列に書き連ねると余りにも膨大な出来事にクラクラと眩暈がする。うわあ、こんな人生をよく耐えてきたなぁ、って。普段は自己憐憫だと言われるのが怖かったのか非難めいたことは抑え気味にするのだけど、事実の羅列は隠しようもない真実だ。
転居先は何件もあり単身赴任は20年にも渡り別居と称する期間は10年近くあった。経済的DVと身体的DVと不貞。勝手な離婚宣言に至っては憐憫の情さえ湧いていた。洗脳されていたからね。
ジワジワと健康を蝕み、たくさんの不定愁訴や自己免疫疾患や基礎疾患まで罹患した。原因不明とされた検査結果も度々(強度のストレスと)。
・不眠、無気力、焦燥感が続く。
・フラッシュバック、悪夢と不安症。
・逆流性胃腸炎と外来に入った診察室での嘔吐。
・いろいろ色々。
苦しく辛く嘔吐と動悸にまみれた日々も言葉にすると何行になるのだろう。
不条理や後悔や自責や憤りと寄るべない苦しさは無気力と恐怖を連れてくる。
私が縁を得て契約した弁護士先生は女性センターで講演をするほどの人権や女性によりそう温かさや戦う見識見解をお持ちのフェミニンな女性なのに、とうとう権利失効のリミット近くまでお待たせしてしまった。長い間押さえつけられた心が理性を外し足をすくませてしまうのだ。
誰のおかげで生きているのか、俺がいないと路頭に迷うんだぞ、別れたら俺の優しさがわかるはずだ、お前の考えはいつも間違っている、働くな、お前はバカだから周りに迷惑をかける、という全くもって非情で人権侵害である言葉が、その行動とともに実行に移され脅迫が常となった。まさに路頭に迷うほどの仕打ち。息子に対しても、お前のせいでダメになるのが見ものだ、おれは知らん関係ない、いい気味だとの言葉が決定的だった。言葉だけではなく無視や無関心と拒否ばかりか、息子のせいで離婚するぞとの脅迫も目の前で聞いた。
50代も後半になった身体に社会的状況。緊急手術や基礎疾患やパニック症状や目眩や基本的人権も生存権すら顧みられない状態。離婚に際して彼の家族の一致した協力体制をみて嘔吐と眩暈が止まらなかった。恐ろしい現実。DV加害者の拡大した自己正当性の高さという人格異常(表現は様々ですが)。
人権や権利の主張、調停や裁判、法の元にジャッジしてもらうために、私はかけられた洗脳を解かねばならなかった。
DVとはなにか。それが及ぼす心身の影響と破壊力の大きさ。DV加害者の特徴、特性(常軌を逸している)。
夫婦に課される義務と権利。自動思考は何か。根拠を探し分析して解決方法を見つける。
まずは自分の意識を変えないと、その上に築く現実を変えることは難しい。
その意識を変える為に沢山の書籍を読み体験談を紐解きDV関連の施設を訪れた。その前に人権センターや精神科医のDV加害者の特徴を聞いてはいた。聞いてはいたけど、そこまで冷酷で残酷で人間じゃない人々の範疇に入るとは思ってもいなかったのだ。おめでたい。まぁ、それが洗脳というものだけれども。
洗脳を解かなくては、現実を正しく認識しなくては、先に進めないのだ。相手が何を画策し実行に移したのか。どんな人間なのか。その異常性を。
助けが必要な状態にあるのに、それを伝えるためには、いくつかの難解なステップを踏まなければならない。これを抵抗なくソツなくこなせる人ならDVなんて受けて苦しむわきゃないよう。って思うほどに私にとっては辛かったしできなかった。
私が今も食事を摂れて屋根のある家で暮らしていられるのは、大袈裟ではなく心ある友人知人たちのサポートがあらばこそだ。私の心が落ち着くまで、そっと見守り支えてくれた。
心ある人とそうでない人のコントラストがくっきりと迫ってきて節穴だった眼から鱗がポロリと落ちたのだった。
やっと。やっと魂の自由をめざせる。がんばれ!自分。
自分にエールを送るために書き綴りました。知を力に。