離婚訴訟の傍聴で気づいたこと。
昨日に加筆。
男性主導で作られた社会の当たり前と常識。
男性にとっての当たり前が社会の当たり前、ひいては法廷におけるジャッジメントにも影響していることを知って暗澹たる思いになった。
曲がりなりにも人権意識、男女平等が底通する戦後の教育を受けてきたつもりだったのに。
被告人友人は(浮気されたのに被告だとーーー?!)、
四人の子供を産み育て医療過誤で介護が必要な3男と自閉症スペクトラムの次男を抱え、獣医科クリニック経営にも携わり(単なる手伝いじゃないよ)家事一般も背負う数十年、還暦を過ぎての夫の不貞問題での離婚に500万程度の補償金請求しかできず、それも200万円に減額されそう(相場)と聞いて衝撃だった。
齢60を過ぎての家庭崩壊(関係破綻?)を間近に見て、思いは千々に揺れる。
もしも、もし。
友人が大学教育を受けてきた専門職を投げ出さず、家事と介護をアウトソーシング化して(お金はかかる)夫と全て(家事育児一切)を折半していたら、キャリアを中断することなく、夫一人のストレス発散という名目の遊興に悩むこともなかったし、家事の不足や不満を責め立てられることも、離婚後の自立経済に怯えることもなかったのにと私自身の後悔とともに思う。
分担。という言葉で括ることの安易さ。
分担分業で弱者の立場になるのなら、それは分担ではなく、体(てい)のいい搾取や利用じゃないのか。
女性の立場、妻として、母としての立場。
肉体的にも精神的にも異なる性差が、法廷の場で勘案されず非情な扱いになることに恐怖さえ感じる。
モラハラを受けた、あの密室での恐怖と繋がる。
おかしい!納得し難い!ヘンでしょ!くっそー(以下自粛w)
法廷で田中氏が叫んだ『非常識だ!常識ではない』。の文言に、『いったい常識ってなんなんだ。誰の常識かよ!』って心の中で毒づいたけれど、判決が下るのを静観しようと思います。彼の正義と常識がどうジャッジされるかを。
(続く)
文中の名称は🐢仮名です🌾。