オナカマを増やしたい
どこまでが同じ釜か?
同じ釜の飯を食う、という言葉があります。このとき食べているメンバーを想像してみてください。きっと家族ではないでしょう。一緒に暮らす親や兄弟に対して、同じもの食べてるから私たちは似ているね、などとはわざわざ確認しないからです。
私たちのお店では、毎日15種類ほどのおかずを用意します。スタッフも一生懸命です。開店時間までになんとか作りきって、お客様を迎え入れます。そしてお昼の時間が過ぎた頃、自分たちもお昼ご飯として残ったおかずをいただきます。来る日も来る日も、まさに同じ釜の飯を食べています。
すると、やはり感じる時があるのです。
あ、感覚が似てきているかも…。家族でもなく、他人でもない人たち同士が、ふとした瞬間に同じことを考えているような感覚。そんな気持ちが芽生えると、私はとても嬉しくなります。
では、お店のスタッフではなく、定期的にお店に来てくれるお客さまだったら、どうでしょう?答えから先に言いますね。私は感じてしまうのです。「同じ釜の飯」的な嬉しい気持ちを。
似ているかもという感覚は、けっして他人と共有できません。誤解や勘違いである可能性も高い、一方的なただの思い込みです。でも何故か瞬間的に、すこしの疑いもなく確信してしまいます。似ているかも…。人間ってそう思いたい生き物なのかもしれませんね。
いずれにせよ、この嬉しい気持ちを、もうすこし詳しく見てみたいのです。
オナカマの条件とは
私が「同じ釜の飯(以下、オナカマと略します)」を感じるとき、その料理を作った人とは近しい関係にあるような気がします。そんな馴染みの料理を一緒に楽しめているなら、たとえ名前も知らない人であっても、勝手にオナカマを感じてしまうのです。
では、作った人との近しさは、どのように測れるのでしょうか。一番に思いつくのは、その人の料理を食べる頻度です。
私の感覚では少なくても週に一度。そのくらいあれば、自分の心身に影響していると思えるのかもしれません。
具体的なイメージとしては、週一くらいで通う定食屋でよく顔をみるオジさん。話したことはないけど、何かきっかけがあればすぐ打ち解けられそう。初めに味噌汁をすすって長い息を吐く。いやー分かります、そうなっちゃいますよねえ…みたいな連帯感です。
しかし、この定食屋をファーストフード店に置き換えるとどうでしょう。なかなかオナカマを感じにくくなります。作る人の顔が見えにくいからでしょうか。それならば…と、食べる頻度をもっと上げる想像をしてもやはり上手くいきません。
食べた料理にどれほど手がかけられているか。これも食べる頻度に加えた大きなファクターなのでしょう。
でもよく考えてみると、オナカマを感じたその瞬間、実際の手のかけられ度合いについて普通は詳しく知りません。定食屋で言えば、知っているのはせいぜい厨房の中でせわしく動くお店の方々の横顔や作業の音など。きっと私たちは、それらの情報を目の前に出てきた定食と勝手に結びつけて、頭の中でストーリーを組み上げているのでしょう。
そして、実際に味噌汁を一口すするという体へのダイレクトな刺激をきっかけに、ストーリーは体温を帯びてリアルに動き始める。ここに作った人との近しさが生まれてくるのだと思います。
話が飛ぶようですが、イスラム教のラマダンはムハンマドの苦境を追体験して共有する、という意味合いもあるといいます。食べるという行為でなくても、空腹という体への極端な刺激によって、強固なストーリーを身体化させていると言えるかもしれません。刺激の強さやストーリーの強固さは、共有の範囲とも比例しそうです。イスラム教が世界宗教である理由の一端が、ラマダンという仕組みにあるようにも思えます。
ストーリー共有のきっかけづくり
さてオナカマです。そこまでの刺激を必要としなくて、共有の範囲も狭いけれども、日常にちょっとした嬉しさをもたらしてくれる、あのオナカマをお店を通じてもっと感じてもらえるためには何が必要なのでしょうか?
顔の見える人が調理をしているというストーリーについて、実際におかずを口にした瞬間に、より強く感じてもらえる仕掛けが大切かもしれません。お店のスタッフにオナカマを感じるのも、もともと知っているという関係性のアドバンテージだけではなく、一緒に料理を作っている時間がストーリーをより強固にしていると説明される方が素直に頷けます。
とすれば、例えば「お客さまと一緒にご飯をつくる」なんてイベントも案外良いのかもしれません。お料理教室なんていうものではありません。普通の営業日に私たちと一緒に料理をつくってもらいます。そしてアルバイト代というわけでもありませんが、代わりにお弁当を5回分は無料にしてあげるとか…。
かなり現実離れした妄想ではありますが、なんかワクワクするのは私だけでしょうか。オナカマがもっともっと増えていったら…。ふむふむ、可能性に想像が暴走してしまいそう。