ひねりだした3日分 【日記の練習 #05】
10月19日(土)
いつからか夜に散歩をするのが好きになった。22時半あたりを過ぎると、ウズウズし始める。主人を散歩に誘う犬ってこんな感じかな、飼ったことないけど。
どれだけ眠くても、翌日の朝が早くても、日付を超えていても、時には雨が降っていても、どうにも外の空気を吸いたくなる。神戸で1人暮らししていた時には原付でドライブに出ることもあったな。
今晩は22時ごろに家を出て、川沿いを歩いた。家に居るとついYouTubeやPodcastを流し続けて、頭の中に言葉をパンッパンに詰め込んでしまう。本当はもっと考え事ができたらいいのに。今はインプットを遮断して、言葉を外に出す時間にしようと、イヤホンで音声入力しながら、頭の整理をすることにした。
21時ごろまで雨が降っていたので空気が少し湿っているが、雨粒は降っていない。風は強い。
スマホを見ると、音声入力がところどころ拾えていない。イヤホンのマイクを頬に当てながら歩く。側から見れば猛風の中で必死に電話する奴だった。
気がつげば、かれこれ1時間は歩いていた。今日考えて(話して)いたのは、「決めていいよ」という一見優しい言葉に感じる違和感(ズルさ?)について。ずっとモヤモヤしていた考えが、一歩進んだ気がする。また誰かと共有したい。
10月20日(日)
誘われて京都駅の美術館「えき」に行った。写真家の岩合光昭さんが47都道府県で撮影した全国の「ご当地ねこ」が大集合!という展覧会。北海道から沖縄まで順に各地で撮影された写真が並んでいた。
普段、美術館や博物館、動物園に人と行くと、見たものの感想を共有して喋ることが主になることが多い。動物園なんかは、動物の人っぽい仕草に注目したり、近くで見て気づく発見を話したりできて時間がすぐに過ぎてしまう。絵画や考古物なら、そもそも場所が静かだからじっくりと鑑賞に集中することもできる。
しかし写真展をしっかりと見たことはほとんどない。しかも対象がずっと猫。全部猫。
間違いなく可愛い。最初こそパッと見で「可愛い」とか「構図がすごい」「表情がすごい」と喋れていた。周りもそこそこ賑やかに反応している。見ていて楽しい。
けれど30分も経つと、じっくりと眺めているのもしんどくなってきた。内心で(さっきのと何が違うんだろう…)とか野暮なことを思ったり。一緒に行っていた友人には申し訳ないと思いつつも、段々と見て回る速度が上がっていった。
自分の関心やスキルによるところが大きいけど、読み取れるものが少なく、じっくりと良さを味わう方法が分からないものを長時間見るのって、しんどいんだな。美術館に行ってもサクサクと歩いて行ってしまう人の気持ちがようやく分かった。
10月21日(月)
あんまり体が本調子じゃないなぁと思いつつ仕事をやり過ごした帰り道、冷蔵庫になにもないと思い出す。
頭がぼんやりしながらもいつものスーパーで買い物をして家に着く。とりあえず卵を手軽に食べたいから煮卵。お湯を沸かそう。あとはにんじんが余っているのでにんじんしりしりを食べたいな。他にあるものを検索ワードに入れて、ちょうどいいレシピを探す。この前料理本も買ったのに結局手軽にネットに頼ってしまう。
手を動かし始めると、不思議と怠さが薄れてきて、ストレスや疲れもしばし忘れられた。しんどいしんどいと思いながら帰ってきたが、気づけば1時間半くらい経っていて、5品出来上がった。煮卵、にんじんしりしり、白菜と鶏むねの煮物、鯖の和風ポテトサラダ、味噌汁(白米も炊いた)。
全部うまい。自画自賛したい。(しないとやってられない。)自分好みの味に調整するのだけは得意だと思う。
自炊に勤しんでいると、楽しさを感じつつも時々「もっと働いて稼いで外食した方がコスパ良かったりするのかな」とお節介ネガティブがよぎる。でも毎日外食やコンビニ飯だと、たぶん気持ちが萎れて死んでしまう。これでいいのだと言い聞かせる。実際楽しいしね。
ようやく潤った冷蔵庫の中身を眺めてにんまり。
まとまらないままの日記を載せると、タイトルを考えるのが難しい。どうしたものか。