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阪神淡路大震災・私の記録(序)
阪神淡路大震災から30年が経とうとしている今、テレビに当時の映像が時折り流れるが、いまだに正視できない場面がある。辛いとか悲しいとか簡単に言葉で表せない何とも言えない感情でいっぱいになってしまうのだ。
だから震災当時の写真は貼れない、見たくない人は私以外にもいると思うから。
「30年も経ってんのに?」「30年って人を変えるんに充分ちゃうの?」と言う人もいるかもしれないが、たかが30年なのだ。
街並みは整備されきれいになったが、その街で暮す人々の中には癒えることのない傷を抱えたままの人もいるのだ。
されど30年、当時の話をすることは少なくなり、震災を知らない人が増えている。風化させたくはないが「今から話すから、ちゃんと聞いといてよ。」と膝を突き合わせて話すのもおかしく感じる。
だから、神戸市街で被災した私の視点ではあるが、震災の記憶を残しておこうと思う。できるだけ時系列に覚えている限りのことを、備えの話も物質的なものだけでなく気が付いたことを併せて書こうと思う。
あの日
成人の日が15日の日曜日と重なり16日月曜日は振替休日、発災は17日火曜日の早朝だった。もし、月曜日が休日でなければ営んでいた鉄板焼の店を休むことはなっかただろう。それどころか客の流れによっては店にいる可能性もあった。片付けの最中なら重い鉄板の下敷きになっていたかもしれないと今でも思う。