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集落の形を残したい、第1棟目の家の改修

私が今もっとも危機感を持っているのは、石徹白という地域の形がわかりにくくなってしまうのではないかということです。

私が石徹白に初めて訪れたのが2007年。そして移住したのが2011年です。今は2024年。

この間に、人口は300人から200人に減りました。

人口300人の頃は移住者は数人でした。
今は200人中の約2割、40人ほどが移住者です。

つまり、もともとこの地域に住んでいた人がものすごいスピードで減っています。それが私にとって大きな危機感です。

この土地に先祖代々住んで来られた方は、この土地のことを知っています。家も残されてきています。しかし、そのような方達が減ってくるということは積み重ねられてきた歴史や文化、知恵も同時にわからなくなってしまうということです。

若い移住者が増え、小学校や保育園が賑わい、地元の子供達がここで学校に通い続けることができる ということは喜ばしいことではあると思うのですが、ここでずっと暮らしてきた人こそ、本当は増えていってほしい。

しかし、私がそう願ったところですぐに叶うわけではありません。やはり、石徹白のような山間地で冬は雪深く生活が厳しいところに簡単に住み続けることが難しいのは明白なのです。

どうしてもここに住みたいとか、住む理由がある人が増えていくしかない、それはもはや自明であり、どうしようもないこと。

だったら・・・
せめて、ここでずっと続いてきた石徹白集落の「かたち」だけでも残していきたい。そうすることで、この地域の特徴、ここで続いてきた理由がわかるように思うのです。それを残すことができたら、また次の世代が何かを引き継いでくれるかもしれない、そんな淡い期待も抱いています。

では、何を残すのか、どうやって残すのか。それがどういう意味を持つのか。
私はそれをよくよく考えていきたいと思っているのです。

寺社仏閣、それはここで生きてきた人たちが精神的な拠り所にしてきたところ。移住者の私もとても大切に思っています。

築100年以上が経過した古い家。それらは、この土地での暮らし方が見えます。囲炉裏の煙に燻された黒い梁、床板。屋根の葺き方や家を支える基礎となる石・・・。人々が、ここでどうやって家を建て、どうやって生きてきたのか。家の形を見ることでわかることもあります。

そして家家の周りの田畑と道のあり方。

水が出るところに家があるのか、あるいは水のあるところには田んぼがあるのか。山との距離は。

石徹白は信仰の村です。昔から、白山信仰を広める人たちが住んできました。だからここから山に登る人を迎えることをし、「宿坊」が営まれてきました。家の位置、道の通る場所はそれによっても影響を受けているのかもしれません。

地域の成り立ちを学び、歴史を知ることで、石徹白が石徹白らしい形であり続けるために何をすべきかわかってくるかもしれない、そんなふうにも思っています。

先人が記した歴史書を読みながら、私が何をできるかを考えています。

一つずつ一つずつ、小さな一歩を積み上げていきたいと思っていて、まずは一棟、古くて屋根が折れてしまった築100年以上(持ち主の方は古いところは300年以上とおっしゃっていました)の古民家を改修したいと思っています。

その家は、石徹白集落に入る道の一軒目に当たり、入り口にあった家です。(ちなみに反対側からの道の一軒目に当たる家屋は我が家で、それは縄文遺跡である「島口遺跡」にあります)
入り口にあった家は、その位置にも大きな意味があると思うのです。だから、一つの大切な場所として守っていきたいと考えているのです。

家を改修して、ここの暮らしがわかるような形にして、「宿」をやる予定です。この土地を、まずは「家」を通じて知ってもらい、この土地をゆっくりと味わっていただく場。

宿をやることで、外に開きたい、ここに定住することでしか知ることができなかった石徹白の魅力をもっともっと伝えていきたい、そしてこの地をもっともっと多くの人に好きになってもらえたら・・・と願っています。



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