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集落の形を残したい 「形から学ぶこと」

これまで2つのnoteで「集落の形を残したい」について書いてきました。3回目は「形」についてです。

私は目に見えるものや形式的なこと、形そのものについて、それほどこだわりはありませんでした。それよりも、人の気持ちや心持ち、感情の部分が大切で、それを学び、継いでいくことに重きを置いてきました。学生時代に文化人類学を学び、カンボジアで聞き書きをする中で、人々の思いを聞き取り、より一層内面を重視していったのかもしれません。

けれども「たつけ」と出会って以来、私は形にもこだわりを持つようになりました。

たつけを80代の小枝子さんに教えてもらった時に、その構造・つくりに驚きました。どうしてこういう形をしているのか、どうしてこういう作り方をしてきたのか・・・驚くことがたくさんありました。

洋服は、裁断した時点でこことここを縫い合わせたら、こうなるかな、というのがなんとなくイメージできるのですが、「たつけ」はズボンの形にする(両足が入る状態になる)まで、完成を予想できないものでした。

「たつけ」は、少ない布を無駄なく直線で裁断して、パズルのように組み立てていきます。少ない布を無駄なく使う、ということと、動きやすく働きやすいズボンにする、という二つの条件を満たしています。この二つが優先されるので、わかりやすい、作りやすいというのは二の次です。

「作りつけりゃ(作り慣れれば)、簡単じゃで」と90代のりさこさんは言いましたが、慣れるまでがとても難しいのです。(そこに私は面白さを感じているのですが!)

こうして「たつけ」を知ったのですが、今に至るまで「たつけ」の形から、私は学ぶことが多いです。古いたつけが形を残してきたから、それを見るたびに学びが深まるのです。

股の部分に小さなマチがあることで前部分に余裕が生まれる、
足首内側に力布がついていることで耐久性を高める、
お尻の部分に大きな三角形がついているということで動きやすくなる、
前ズボンは布を無駄にしないだけではなく、補修もしやすいように長方形であるということ(前ズボンだけ差し替えたたつけがある)、
縫製糸は大麻の撚っていない糸で平たいまま使ってあり、できるところで効率化を図っていたということ、
縫製はザクザク大まかにされていて仕立てやすくほどきやすくなっているのは洗い張りをするためだったということ・・・

どれも、古い一着のたつけから分かることです。この形が残っていなければ、私はただただ作り方をおばあちゃんから学んだだけで終わっていました。

先日、「民具マンスリー」(常民文化研究所)という雑誌を作っている方が石徹白にいらっしゃったのですが、彼女から「道具がそのまま残っていることが大切。まずは残すこと。なくなったら何も分からなくなる」と言われました。

私は古い道具をただただ集める蒐集家ではなく、その道具から学びを得ることが大切だと思っていて、まさに、彼女も同じことを言われました。写真や図録に記録されているのではなく触って確かめることができるよう、手元にあることで学びが深まるのです。

前置きが長くなりましたが、この「たつけ」の学びは今の私の「集落の形を残したい」に直結しています。

この集落が今の形になったのはいつなのか、どうしてこの形であるのか。それは耕地整備や道路の拡張など石油を使うようになったからこその形もあるでしょう。けれど、それよりずっと前、人が手で集落を築いてきた時代の形も確実に残っていると思うのです。

石徹白には立派な石積みがたくさんあります。石工さんが石を川や山から運んできて、それを削って積み上げたと思われる石積み。それによって畑や家が作られてきた。

車のために拡張された道路がほとんどですが、神社に向かって伸びていく大きな道は、やはり神社を中心に据えていた石徹白ならではなのかもしれません。

家は板張りで土壁はほとんどありません。豪雪地帯なのに白川郷のような急峻な茅葺屋根ではなく、傾斜はなだらかで、かつては板屋根に石を上においた「クレ葺き」屋根でした。それは雪を屋根に登っても危なくない形だったのでしょう。

形を残すことで、そうなっていった背景がわかり、地域の特徴がよくわかってくるのです。形があることで、今すぐには気が付かないことでも、じわじわと理解できることがたくさんあります。

私の住んでいる築150年の家は、大きな囲炉裏が1つと、小さな囲炉裏が3つもありました。なぜこんなにたくさん囲炉裏があったのか。それは寒い土地だから。そして、80代の方に聞いてみると「これはお寺さんが当たるためのものじゃと思う」と小さな囲炉裏を指して言いました。

お寺さんが火に当たるための囲炉裏があったなんて、お寺をいかに大切にしてきたのか、信仰深い石徹白の人たちの気質が表れているように思うのです。

服の形から、家の形、そして集落全体の形・・・
この形の中で生きてきた人たちの心持ち。

そこを知ることから始まります。少なくとも、この土地で生きる私にとってはとても大切なことだし、ここで育っていく子供達にとっても、自分のルーツであるこの地域のことを知り、誇りを持つことが何より大事なことだと思っています。

地元の人たちが少なくなって、移住者が増えている昨今、石徹白のこれまでの暮らしや文化を残していけるだろうか・・・と危機感を感じています。私は幼少期からここにいるわけではなく、部分的なお話を長老らから聞くにとどまります。暮らしの中でかつての生活について語ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんもいません。

だから、今がギリギリのチャンスで、今聞いておかないと手遅れになってしまうと焦っています(もう手遅れ・・・と思うことも多々ありますが・・・)

集落の形、家の形を残すことと同時にその背景を学ぶこと。自分で知ろうとしたら膨大な研究が必要なことも、実際にそこで生きてきた人たちに話を聞くとすんなりと分かることが多いのです。

焦らず、でも急いでやっていく。今年は4冊目の聞き書き集を完成させる予定です。でもまだまだ聞きたい、残したいお話はたくさんあります。一緒に聞き書きをやってくださる方がいたら(特に編集作業・・・)、ぜひお声がけください!(最後は募集になってしまった・・・😆)



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