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藍染を始めるために、藍畑を始める

藍染めを始めるために、藍畑をやることになりました。
その経緯はこちらの「藍染めのはじまり」に書きましたのでよろしければ読んでくださいね。

その時、次男が1歳前。とにかく藍の葉っぱを育てることなしには、藍染めを始められないと必死な私は、次男をおんぶして、コマメ(小さな耕運機)で3畝ほどの畑を耕していました。

それまでは夫と2人で素人なりにやっていた畑でしたが、前のめりの私は仕事で不在の夫に頼らずとにかく畑を進めようと動き始めました。

藍染を50年もやってこられたTさんを紹介してくださったSさんも畑に協力してくれました。そして彼女の周りの人や、私が郡上に移住してから出会った人たちが、畑の手伝いにわざわざ石徹白まで来てくれました。

郡上八幡の街中から車で1時間もかかるのに、畑仕事のために駆けつけてくださる方もいて、ありがたいばっかりでした。

私は小さな次男を抱えて、慣れない作業でしたが、初めてのことばかりでとにかく楽しくて夢中でした。Tさんは種まきから、畝の作り方、定植、育ちはどうか、刈り取り方法、乾燥、選別まで折を見て石徹白に来てくださって教えてくださいました。

また、Tさんのご自宅の近くの畑でも、私の勉強のために藍畑を作って、どんなふうにこれまで栽培されてきたのか見せてくださいました。

人が人を呼んで、このころ、何人もの人が藍畑に興味を持ってTさんの畑や石徹白の畑に足を運んで手を貸す人が現れていました。Tさんのやり方を学びたい、見てみたい、藍畑に興味がある・・・藍畑はたくさんの出会いのきっかけになっていきました。

Tさんは、今はお一人で作品を作られていますが、若い頃は実はたくさんの人と共に手織物を作られる仕事をされていました。そこでもきっと、彼はハブのような存在で、信頼を得て、こうやって人が集まって、若い人を育ててきたのだろうな、と周りにやってくる人たちを見てそう思い、彼のお人柄に触れることができたことは私にとって大きな学びになっています。

Tさんの畑のある地区は石徹白から車で40分ほど。気候は、Tさんの方が暖かく、石徹白の方が寒い。私が初心者というのもありますが、Tさんの藍畑と私の藍畑の生育の違いはとても大きく、気持ちは焦りました。けれど、先に育っていくTさんの藍畑を見ながら石徹白で栽培できたから、生育の状況がよくわかり、不安なく始めることができました。

一軒は百聞に如かず。まさに、目の当たりにすることが一番の勉強でした。また、作業の間にもいろんなことを話してくださいました。

「藍をやるのなら畑が一番大切。畑がないと藍染ができない」
「僕の色はこの水色。これを出すために藍を育ててきた。これは徳島のすくもでは出せない色」
「郡上の川の色を出したいと思ってきた」
「畑で草を必死でとっているときに、こういうものを作ろうというのを閃くんだ。」
「誰も作らないものを作らなくちゃだめだよ」

その時にはふんふんと聞いていたことが、藍染を始めてようやくわかることがあります。でもきっとまだわかっていないこともたくさんあるのだと思います。

50年。彼の努力と苦労の積み重ねの時間の中で得たことの一部を、時間を共にすることで垣間見ることができたことは私にとって貴重なことでした。


石徹白での畑の作業の日は多い時で10人近くのメンバーが集まり、昼には持参したおにぎりと、Sさんが作ってきてくださるコロッケと、私の作る汁で皆でご飯を食べて、大家族のような楽しい時間をたくさん過ごしました。

次男が泣いたり、オムツを変えたりする時には私は中断しなければならない作業を、仲間がいたから着実に進められました。本当にありがたい仲間ができてきたのです。この頃、私は石徹白に移住して3年ほど。他に移住の仲間もまだ少なくて、同世代か少し上の世代で頼れる人たちはこうして石徹白の外から手伝いに来てくださる人がほとんどでした。

こうして初めての藍の葉っぱの収穫はできましたが、できた葉っぱはわずか。これではなかなか藍染めは始められません。藍染に必要な葉っぱは、Tさん曰く、少なくても乾燥葉で100キロ。これくらいないと、すくもという藍に必要な染料を作るために発酵させることができないそうです。

1年目に収穫できたのは、石徹白の畑でせいぜい15キロほど。Tさんの畑は石徹白での耕作面積より狭いのに、よく繁って20キロほどはあったように思います。それでも合計35キロで100キロには届きません。

道のりは遠い・・・
楽しかった1年目の畑でしたが現実は厳しい・・・。とにかく藍染めを早く始めて、藍を建てることの練習もしてみたい。どんどん藍染に関する気持ちが高まっていました。

2年目の畑も順調に進み、定期的に作業をする仲間も来てくれて、徐々に藍の葉は溜まってきました。自分の畑で藍を栽培して葉っぱを提供してくれる心強い人も出てきました。

こうした中で、私がTさんに藍甕を持ちたいと相談をしたところ、なんと、「僕の甕、もう使っていないから、馨生里さんにあげるよ。」とおっしゃってくださったのです。
自宅の裏手を指さして、「あそこに埋めてあるだけだから掘り出せばいい」と。

私は目ん玉が出そうなくらいびっくりしました。50年も使ってきた大切な藍甕を譲っていただけるなんて!!
「えぇ!?そんな大切な藍甕をいただくなんて、本当にいいんですか!?」
思わず前のめり(いつも前のめりになる・・・)になってTさんの顔を覗き込みました。そんな勢いの私がおかしかったのか、普段厳しめな表情が多いTさんが、優しく微笑んでいました。

私はすぐさまSさんの自宅に行って(Tさんの家から車で数分)、Tさんがこんなことをおっしゃって、藍甕を譲っていただくことになって!と興奮してお伝えしました。

「馨生里さん、それはよかったじゃない!これで本当に藍染が始められるね。あぁ、楽しみだなあ。染められるようになったら私も甕に手を入れさせてね。糸を染めてそれで織りたいわ〜」

いつもニコニコのSさんは一層ニコニコして、祝福してくださいました。そう、実はSさんは自分で織る糸を藍染するのが願望だったそうです。おお、そうなのか、Sさんも私と一緒の気持ちなんだなあと、ますます仲間意識も高まって、嬉しくやる気に満ちていきました。

んん??でも、藍甕を「掘り出せばいい」ってTさんはおっしゃっていたけど、どうやって掘り出すの??というか、あんな大きな甕を、しかも4つも、どうやって運べばいいんだろう・・・。

でもいただくことに決まったからには、進んでみよう。そう決めて、藍甕設置に向けて動き始めました。

この続きは次のnoteで書きましたのでよかったら読んでみてくださいね。



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