膿を出しきる、9月
noteに「ご自由にお書きください」と言われたからそのお言葉に甘えて、今日も「ご自由にお書きする」ことにする。noteよ、いつもありがとう。
シルバーウィーク。三連休が2週続いて、いつもの自分だったら休日を思う存分楽しんだはずだったのに、なぜか全然楽しくなかった。常に今この瞬間を生きるスタンスの私のくせに「最近お金使いすぎていたから、今回くらいくらいは静かに過ごそう」とか思ってしまったからか、はたまた彼氏が実家に帰っていたから会いたくとも会えなかったからなのか、最近ストレスによる暴飲暴食が続いていたことで2kgほど太ってしまったことによる自己嫌悪で友達に会う元気がなくなっていたからか、もしくは、最近「神経を使わないと乗り切れない」仕事の打ち合わせや資料作成の時間が続いていたからか。もしくは、気圧のせいなのか。
原因は定かでないが、とにかく元気がなかった。一人でいればいるほど気力がなくなって、ちょっと気を抜くと涙が出ちゃって、そんな自分がどうにも嫌でジャンクフードとか食べて、そしたらその自己嫌悪でまた気分が悪くなって。そんなデフレスパイラル。最悪だった。
こういう不安定な自分がこんにちはしてしまうことが、私には時々ある。「こういう感じ」をはじめて経験したのは、確か大学1年の時だったか。あの頃はとにかく日々の生活と大学生との両立に必死だった。日々の生活、といってもただ暮らすだけじゃなく、なんていうか「田舎者ってナメられないように振る舞う」みたいなことにもとにかく必死だった。いや、今思うとそんなことを考えながら行動している時点で、田舎者丸出しなんだけれど。授業出て、バイト行って、バイト行って、バイト行って、寝て、また授業行って、バイトバイトバイトって感じだった。そしたらバイト先で病気もらって体調崩して、精神的にもしんどくなって大学辞めたくなって(友達が連絡くれたおかげで辞めずにすんだ・・・まじで卒業してよかったと思う)、帰省して親から元気もらって、なんとか東京戻って、、で、今に至る。
大人になってからの自分は、どこかいつも、気を張っている。気を張っていないと、社会でやっていけない、とどこかで思いこんでしまっている節があるのかもしれない。平日のほとんどを、一人暮らしの狭い家で一人で過ごしていることも、ひとつの原因だと思う。
いまだに、少しでもしんどいことやつらいこと、忙しいことがあると、すぐに体調を壊したりメンタルがおかしくなったりするし、お金の余裕もまだまだ全然なく、ちょっとでも気持ちに余裕がなくなるとすぐに部屋の治安も悪くなり、それらの不調が重なれば重なるほど、どんどん日々の食事も乱れてしまう。私は、とにかく弱い。まじで色んなことがへなちょこなので、29歳になった今でも、あんまり自立できていない。自立できていないのに、自立することが苦手なのに、いつも「早く自立したい(しなきゃ)」「大人になりたい」という気持ちがひと一倍強い。そういう自分の気持ちが強くなればなるほど、自分の心が疲れてしまう(ことがある)。なんて非効率なんだと思う。
とある、ウェブデザインの仕事とライティングの仕事をもらった。最初のうちはやる気まんまんで楽しかったのに、日が過ぎれば過ぎるほどどんどんプレッシャーに感じてしまって、気がつけばその仕事のことを考えることが辛くなった。「なんかわかんないけど辛いです。たぶん私の問題です。私がいつまでも自分に自信がない人間で、そんな性格なのに0から1をつくる仕事を任されてて、考え続ける仕事についてて、でも元気じゃないからなんにも浮かんでこないしもう考えることすら辛いです」って、打ち合わせ中に泣きながら言った。笑笑笑。まじでやばいやつ。まじで赤ちゃん。
幸い、その仕事の上司は超優しいから、私の話を聞いてくれたし、チームの座組を考え直してくれるみたいだけど。なんで私はこんなに不安定なんだろうな。
自己嫌悪がさらに半端なくなり、とりあえず一週間だけ実家に帰ることにした。現在、5日目。実家は本当に快適だし、仕事や将来のことを考えなくても親や妹が適当に話しかけてきたり出されたご飯を食べていたりしたら時間が過ぎる。自分に向き合わなくても時が過ぎて、自分がここにいるだけで許されている感じがあって、一人暮らしの自分の家よりも熟睡できる。
一人でいると、私はどうしても、他人のことを考えたり、他人の活躍を見てしまったり、他人と比べてしまったりする。それで勝手に落ち込んで、生きる気力が消耗して、結局自分の時間を全然過ごせなくなる。そういう悪循環が、もう何年も続いている気がする。
実家に帰ってきて、明らかに元気になった自分に対して思うことは、結局私は、高望みした仕事での目標に近づくことよりも、何気ない生活を楽しむことのほうが好きってこと。そういうことのほうが、大事だと思っていること。人との会話や毎日食べるもの、自分が過ごす場所、見聞きするもの。こと。人。そういう現実というか、接触するリアルな物事によって、私の気分はかなり変わるし、そういうことが私の活力になる。行動も変わって、結局、できることも増える(気分が落ち込んでいるときは、まじでずっと布団から出られなくなる)。
朝の散歩とか、筋トレとか、どんなに簡単でもいいから自分が作ったものを食べるとか、家にいすぎないとか、毎日必ず誰かと会話することとか。そういう当たり前のようなことが私にはすごく大事で、それらのことが欠けていくと本当にゴミみたいな人間になっちゃうから、人一倍に私はまずは生活を、絶対に、頑張らなきゃいけない。そのための努力は惜しんじゃいけない。適当にしない。ことが、大事らしい。
その上で、仕事をどのくらい頑張るのか。生活や遊ぶこと、自由さが何よりも大事な自分にとって、仕事をすること、は「極力やりたくないこと」だ。責任が伴うし、何をするにもプレッシャーを感じる。
けれども、何もしないのもソワソワしてしまうんだろうし、何より、私の人生や生活や遊びにはある程度のお金がかかる。お金はある種の可能性だ。可能性は、できるだけ多い方がよい。そうなると、やはり働かないといけない。専業主婦にはなれない。すると、自分のなるべく得意なこと、ストレスが少ないことで、お金を作っていくのが、多分一番効率がよい。
そういう意味で、今の会社での仕事は自分に合っている(ロボットでもできる仕事だな-とは思うけど)。会社員としての仕事で、日々の生活が食われてしまうと「私の生活は仕事に占領されている」という気持ちが出てきちゃってムカついて、ストレスになってしまう。それは避けたいから、なるべく夕方ごろまでには最低限の仕事は終えておきたい。
個人の仕事を、どうするか。えーどうすればいいんだろう。うーん。挑戦したい気持ちと、両立できるか不安な気持ちと半分半分。お金はもっと欲しいし、時間の余裕も少しはあるけれど、自分の生活リズムを崩してまで仕事をしたくないというのが正直なところ。今の自分は、必要以上の「無理」はせず、まずは毎日をご機嫌に過ごすことが最優先事項で、そうじゃないとまた鬱になってしまう。仕事に全フリするのはまだ怖い。でも、常に外部からの刺激を少しは受け続けていたい。実にわがままだけど、それが本音なんだよなあ。
とりあえず、自分が100%元気な状態を無理矢理にでもしばらく作る。そのあとで、じゃあどのくらい余力が残っているのかを考える。例えば、「一日に換算したら、朝の1時間と夜の1時間の2時間くらいは、副業に使える」とか。そういう細かな調整や確認をしていくことが、今の自分にとってはとても大事なのかもしれない。
毎日せわしない中で、一人で過ごしていると、私はどうしても「他者」を優先しがちになってしまう。上司からこれを頼まれた、とか、友達が元気がないから助けたい、とか、家族が大変だから何かしなきゃ、とか、彼氏や友達にいい顔を見せたいから綺麗な洋服を着るためにダイエットしなきゃ、とか。確かに全部私だし、全部「私らしさ」ではある。のだけれど、そんな自分自身が元気でいることが、何よりも大事なことだ。
私にとって、ただ「元気」でいることは、たぶん人よりも難しいことで、自分に対して「今日は元気だな」と思うことすらたぶん結構難しいんだと思う。でもだからこそ、無理矢理にでも、なんとか、自分に意識を向けることを常に忘れないようにして、なんとか丁寧に生きて、過ごして、それでやっと、もう少し難しいことや面倒なことに向き合うようにする。その順番を、必ず守るようにしよう。しなきゃ。しなきゃいけないなと、思う。
私はつい、元気が無い時に限って、自分にとって一番面倒なことや難しい問題に向き合おうとしてしまう。ただでさえ元気がないのに、自分の元気を余計に奪うような思考回路を発動してしまう。そして自爆する。笑。
もしかすると、そんなところも自分の可愛らしさなのかもしれないが、そういうMな自分はそろそろ卒業しよう。私ももうすぐ30になる。近い未来には、誰かの奥さんになったり親になったりするかもしれない。そうなったときに、不安定でいつもグラグラしている弱い女のままでいるのは御免だ。
よし。よし。とりあえず頭の中がすこしはクリアになってきた気がするので、今日のところはこれにてドロンいたします。書き殴った~。大号泣をかましてしまった仕事をどうするかはまだ結論がでないままだがとりあえずあと数日かは自分自身を元気にすることに徹しようと思う!!!そこまでしか、今の自分にはキャパオーバーだ。
頑張れる自分も頑張れない自分も受け入れられるように頑張ろう(結局は頑張らなければならないのだ)。ではでは。ドロン。