見出し画像

堂々巡りを繰り返して、春。

あ〜〜〜〜〜〜〜。
むしゃくしゃする。一切仕事が進まない。


元彼の今をSNSでいくら探したって、新しい気になるひとをあらゆる手段を駆使して探したって、自分の「いいね!」の数を数えて自己肯定感を保とうとしたって、なんにも自分の現実は変わらない。極貧の社畜の、一人ぼっちのアラサー女のまま。

フラれたとか仕事が忙しいとか一向にダイエットが続かないとかお金が貯まらないとか先輩に怒られたとか。そんなことは、どーでもいい。そんなことに気を取られている「フリ」は、いい加減やめないと。この宙ぶらりんの日々から抜け出せない。

私には「自分」が無い。昔から「個性のあるフリ」をしていたけれど、それは「本当に個性的な唯一無二の感性を持っている人」の真似をかき集めてできたエセ個性だし、つまりはゼロだし。私はゼロから1を作れないし作りたいと思ったことも実は無い。

ただ、かっこいい人素敵な人の近くにいたかった。いつも。ただそれだけのモチベーションで生きてきた。私の中には何も無い。空っぽの透明人間。別にそれでいいと思ってたし、自分が楽しければそれでよかった。

だけど、最近さすがに気が付いたことがある。空っぽな人間には、誰も寄り付かない。空っぽな人間は、いつも空虚に満ちていて、その満たし方を知らない。だから誰かを求める。認められたいと思う。必要とされたいと願う。承認してほしい。自分が選んだ理想の誰かに、褒めてほしい。そればかり。だからみんな、離れていく。当然だと思う。私は与えられないから。

1人になって、2ヶ月が経つ。1人で過ごす1日は長い。頭の中に「誰か」がいない24時間。すベての時間は自分のためのもの。誰かを待つことも、誰かからの言葉に喜ぶことも、悲しむことも無い。揺さぶられることが無い。

そんな今の日々が、とても楽だ。そして、とても寂しい。
私はまだ、自分のために自分を生きられない。自分がわからない。
誰かに求められる自分を作り上げる以外の、自分の満たし方がやっぱりわからない。
誰かのために頑張らなくていい日々は平和だけど、つまらない。退屈だ。

そしてそんな退屈さを楽しめない自分がとても嫌だ。
1人の自分を愛せるようにならないいと、次誰かを好きになる資格が無いような気がしている。

もう誰かがいなくなったり、
いなくなるような人を好きになったりするのは、嫌だ。

自分の矛先がわからない。
27歳にもなって私は、18歳だったあの時と同じように今日ももがいている。

原稿は書けなかった。明日の朝早く起きて、書こう。
明日のご褒美は、何にしようか。おやすみなさい。

いいなと思ったら応援しよう!