夏休みがなかなか始まらない
今日も、モヤモヤは続いている。仕事に追われているときはまだしも、仕事が終わると何をするわけでもなく気持ちがぼーっとしてしまうし、そもそも仕事に取り掛かるスイッチをいれるのにも結構な時間がかかる。
私の夏休みは木曜から。家族がコロナになってしまったから今年は帰省をやめた。彼も地元に帰ってしまうらしいから、夏休みの前半はひとりで小旅行でもして、後半は友達と出かける予定だ。
朝、彼から「夏休みいつまで?親御さんいる実家に帰らないんだったら、僕も早めにかえってこようかな」と連絡があった。すこし前だったら、こういう優しさに対しても素直に喜ぶことができたけれど、今は色々と身構えてしまう。どんなデートにするか、考えるのが少し億劫な自分がいる。彼に会いたいのは間違いないのに、うまくできるか怖い、と考えずにはいられないというか。恋愛をしていて、こんな気持ちになったのは初めてかもしれない。好きな気持ちはあるけれど、正直、あんまり会いたくない。
SHELLYのYouTubeで「性行為に対する優先順位が自分と同じくらいの相手じゃないと、どんなに好き同士でも最終的にうまくいかなくなっちゃうよね~~」と、ごくごく当たり前のように話していた。
私が今悩んでいることは、世の中からみたらどこでもあることで、大した話ではないのだと思う。私側がどうしても辛いのであれば、さっさと別れればいい話。彼氏と別れたって死ぬわけじゃないし、職を失うわけでもないし、翌日から目を向けられないほどの不細工になるわけでもない。なんにも変わらない。いつもと同じような日常がくるだけ。私はいちいち、大げさすぎるのだと思う。
それでも今だに涙が出たり、気持ちが沈んでしまっているのは、きっとすでに、別れたあとのことをすでに想像してしまっていたり、すこし前の、ただただ楽しかった頃の自分には、なんとなくだけどもう戻れないような気がしていたりするからなのだと思う。私の中ではいまでも非常に大事な存在だけれど、もうなんとなく、それだけではちょっと難しいような、そんな気がしている。手放す勇気はまだないからしばらくは続けるんだと思うけれど、これからも基本的には並行線になってしまうような。
最近は、自分の気持ちを落ち着かせるために、自分ひとりで色々考えすぎないように、いろいろな本を読んでいる。最近読んだ「孤独の哲学」の中に、「時々セックスレスで悩む夫婦やカップルがいるが、関係性が悪化している本当の原因から目を逸して、セックスレスである、という結論に逃げてしまっていることが多い。実際のところは、ほぼほぼのケースにおいて、セックスという行為以前に、互いの対話不足、コミュニケーションレスが根本の原因であると明言できる。つまるところ、向き合うということから逃げた結果が招いた事態が、セックスレスなのである」みたいなことが書いてあった。
それを読んで、たしかに、そうなのかもしれないなと思った。表層的な見た目とか、デートの内容とか、何を食べたか、とか、季節のさまざまなイベントとか。そういう楽しげなことをしていたら彼氏・彼女ごっこはできる。だけれども、ある程度長く期間をともにしたら、それだけでは誤魔化しがきかなくなってくる。何をするかよりも誰といて、どんな話をして、どういう雰囲気をともにするのか・したいのか、という部分の比重が大きくなる。
私は彼と、きちんと将来の話をしたことがあっただろうか。人生観とか、どういう瞬間に幸せを感じるのかとか、どういう目標があるかとか、どういう人間でいたいかとか。結婚願望はあるのか、子どもはほしいのか、いつまで東京に住むのか。夢はあるのか。そして私という人間を、将来の伴侶として見たことはあるのか。
そういう話に触れたら、後戻りができないような気がして、今までは意識的に避けてきてしまったように思う。けれど、現状を打破するためのステップのひとつとして、向き合いすぎなくらいに真面目に相手と向きあって、さまざまな根本的価値観を共有してみる、というのは、もしかすると有効な行為なのかもしれない。やってみようかな。向き合う気合ができたら。
おわり