『人間を超えた』ヒト。
2022年1月14日。
体操・内村航平選手の引退会見。
背筋がゾクッとなる場面がありました。
2011年10月14日。
東京で行われた世界選手権で
個人総合3連覇を果たすことになる朝のこと。
「今でも感覚とか見た視界とかが記憶に残ってて2011年の世界選手権を
今まで感じたことないぐらいのゾーンを、感じて。朝起きる2、3分前、
なんか、もうすぐ目覚める、みたいな時あるじゃないですか?それぐらい
から、あ、もう今日は何をやってもうまくいくっていう感覚で目覚めて、
試合が終わるまで全て自分の思い通りに行ったっていう感覚があって、
あれはもう、一生出せないっていうのを、そこでもう、これはもう一生
出ないなっていうのを感じたし、ここまで自分の思い通りに行くことは
もうないかなっていうぐらい、凄い日でした。」と振り返りました。
アスリートの言葉で
背筋がゾクッとするほどの
凄みを感じたのは、初めてだったかもしれません。
だから私は、挙手して質問しました。
「今、振り返って、なぜそのゾーンが生まれたのか、
教えて頂けますか。」と。その答えは・・・
「人生で一番、心技体が揃っていた時期なのかなと思っています。練習量も
そうですし、練習の質も、物凄く高かったし、メンタルもあの時が、一番
強かったかなと思うし、痛い所も全くなかったし、やっぱりこう、もう
自分は何をやってもできると思っていた時期だったので。でも、やっぱり
一番の要因は、世界で一番練習をしていたからだと思っています。あと
自分の演技、体操に対して物凄く自信を持っていたので、失敗する気が
しないとかそういう次元ではなく、この場をどう楽しもうかっていう。
もう強さとはかけ離れたというか、自分1人だけが楽しんでいるみたいな
状況だったので、それが強かったのかなと思いますね。でも、そのあとも
その翌年にロンドンオリンピックがあって、そこで、そのゾーンを再現
したいななんて思っていましたけど、ゾーンは再現できるものじゃないし
自分から狙ってやれるようなことじゃないんだなっていうのを、そこで
感じたので、あれを1回経験できただけでも、人間をちょっと超えられた
んじゃないかなと僕は思っています。でも、ゾーンの話すると、たぶん
3日ぐらい寝ずに話し続けちゃうので、ここでやめておきます(笑)。」
その後、別室に移動して
インタビューもさせて頂きましたが
そこでも、深過ぎる話の連続でした。
引退の理由、引き際、オリンピック、
リオ五輪でのライバルとの激闘、
後輩達に託す思い、自分の未来について。
ナンバー1であり続けた
内村さんが持つオンリー1とは何だったのか。
その模様は、ぜひ今日のS☆1でご覧ください。