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『100kmのシンカー』

先日、神宮球場で行われた
『野村克也をしのぶ会』に
参列してきました。

外苑の銀杏が色づき、
温かい日差しが降り注ぐ
穏やかな土曜日でした。

印象に残ったのは
ヤクルトスワローズ
高津臣吾監督の弔辞です。

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1992年11月、
日本シリーズで西武に敗れた
ヤクルトの秋季キャンプ・・・

高津投手は野村監督に
「高津、100キロのシンカーを
 投げられないか」と声をかけられたそうです。

「それまで、速球で空振りが取りたい、
 速い球を投げないとプロでは通用しないと思っていた私に、
 まるっきり反対のことを言われたのです」

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『半信半疑で取り組んだ
 100キロのシンカーは
 絶対必要な武器となっていた』

選手自身が気付かない
技術や能力、可能性を見出す
野村さんの観察眼の鋭さ。

ヤクルトでリーグ優勝4回、
日本一3回の常勝軍団を作り上げた
野村監督と高津投手のエピソードでした。

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そして、献花に訪れた
田中将大投手が語った
「野村野球は準備野球」という言葉。

幅広い知識と
徹底した準備で臨む野村野球、
そして、人を残すノムラの教え。

我々、メディアの人間にも
多くの財産を与えて下さいました。
心より感謝です、ありがとうございました。

#野村克也 #高津臣吾 #田中将大 #ノムさん #野球 #教え