わたしの物語2
母が話すわたしの物語のつづきを。。。
仕事で朝早く出勤して、夜遅く帰ってくる父。会社の上の立場だったこともあり、ほとんど家にいないのが母にとって普通でした。
父との思い出は、1歳くらいの時に一緒にお風呂に入って、ガーゼハンカチで湯船上で膨らませて遊んだことと、マリーちゃんの人形(今でも持っているんです)をプレゼントしてもらったことを覚えています。
赤ちゃんのわたしに、母は変わらず毎日話しかけたり、音楽を聴かせて、歌って母のオリジナルな子育てを満喫していたそうです。
3歳になるまでに、絵本の文字を見せて一緒に読んだり、1から100の数字を音楽のリズムにのせて一緒に数えてみたり。
掛け算を母オリジナルのリズムにのせて、散歩に行く時は一緒に歌って掛け算を覚えていたそうです。
初めてちゃんと話した言葉は『いちご』。
話せるようになったことが嬉しいわたしは、すごくおしゃべりで母が洗濯物を干しているときに、靴下が落ちた瞬間、『おちた!』と母に伝えるのがわたしの習慣になっていて面白かったそうです。
母の子育てのおかげで、幼稚園の年長になる頃にはひらがなもカタカナも、少し漢字も、掛け算も1×1から9×9まで覚えていました。
母ってすごいですよね。。。わたしの記憶にないところの子育て術に感動します。わたしもちゃんと覚えてたってことは、きっと楽しい学びだったんだろうな♡
父と母にもいろいろあって、わたしが2歳くらいの時に離婚をして、地元に帰りました。
母にとって初めての子育てで嬉しい、楽しい、ドタバタと時間の流れはあっという間の中で、昔の恋人であった彼と再婚し、新しい父と母との3人暮らしがはじまりました。
幼稚園時代は、幼稚園の近くにおうちがあったので、歩いて通っていたのを覚えています。
日本舞踊、お茶、ピアノ、こくご、さんすう。。。幼稚園で学んでいたことは、今思えばたくさんあったなと思います。
母のおかげで、こくごもさんすうもできちゃう幼稚園児でした。
幼稚園の思い出。。。
行事のお披露目会で祖母がひっそりと日本舞踊の先生に呼ばれ『和果ちゃんはすごく日本舞踊が上手なんです!本格的に京都で踊るのはどうですか?』と話された時はびっくりしたそうで、わたしも日本舞踊スキでした。
お抹茶をたてるときの正座がすごく苦手でした。敬老の日は、その正座を頑張ってた記憶があります。
運動会は、缶ぽっくりが好きだったなぁ。
母と『こんにちは赤ちゃん』を踊るのが楽しかったの覚えています。
それから。。。
母が担任の先生から『和果ちゃんは、何にも話はしてないのに、先生の表情を察したのか、慰めに来てくれたんです。観察力がすごい優しいお子さんですよ。』と保護者会のときに母は聴いて、喜んでたそうです。
1度だけ夏に幼稚園にお泊まり会があって、プールにクラスみんなでお風呂ということで裸になって入ったのを思い出しました。
今ではありえない話ですよね。。。笑
暗くなった時間とはいえ、恥ずかしい思い出です。
36歳のわたしが思い出す幼稚園時代。
祖母と母が中心になって家族みんなに守られて、楽しい思い出の方が多いことに気がつきました。
それから。。。
年長のわたしが5歳になって、大きな出来事がありました。
それは双子の妹たちが産まれたんです。
一気にふたりのおねえちゃんになりました。
幼稚園時代のわたしの物語。
またつづきを書きたいと思います。