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読めない道しるべのもとで

「let it be」、いわずと知れたビートルズの代表作。

しかしながら私がこの歌詞をちゃんと知ったのは二十代になってだいぶ経ってからだった。

「あれはマリア様の歌でもある」

教えてくれたのは神父さまだったか、シスターだったか。
そしてはじめて原語の歌詞を読み、本当だ、と驚いた。

苦境にあるとき
マリア様が現れて
知恵あることばをささやいてくれる
「そうなりますように」


日本語訳では let it be は「なすがまま」と略されているのが一般的だろう。

これは聖書でマリア様が口にした台詞だ。





三月二十五日。
クリスマスからさかのぼること九ヶ月まえのこと。
天使ガブリエルがまだ嫁入り前のマリアのところに訪れ、

「アヴェ・マリア(おめでとう、マリア)。あなたは神の子を宿しました」

と告げる。
いわゆる受胎告知。
マリアはさすがにうろたえるが、ほどなくして、

「私は神さまにすべてを任せている身ですから、神さまがそうお望みなら、その通りになりますように」

答えて、すべてを受けいれる。

それから月日を経て、そうして、そうなる。

それが十二月二十五日。
降誕祭、クリスマス。


ちなみに let it be はイタリア語だったかラテン語では fiat で、あの車やバイクのフィアットはここから来ているらしい。
また、「アーメン」も簡単に訳すと「そうなりますように」だ。古語では「かくあれかし」。





処女懐胎が科学的、医学的にどう、というのはさておいて、私がすごいなと思うのは、よくそんなわけのわならないことに「そうなるならそれで良いです」と言えたな、それに尽きる。
私なら絶対に「いろいろ困るのでやめろ」とまず逆らうし、なぜ私なのか、勝手に決める権利がそちらにあるのか、いろいろ問いただして納得するまでだだをこねる。
そういう人間のところにはそもそも天使はおつかいに来ないだろうから安心である。


けれど、そんな私でも、人生の流れのなかでごくごくまれに、

「ああもう、そのとおりにしちゃってください」

と自分のあがきを手ばなすことがある。

といっても、努力や模索や、試行錯誤、何より自分の希望を投げ捨てるわけではない。
やるべきことはするし、こうなれば、という方を目ざすことに変わりはない。


ただ、

「どんなにあれこれやっても自分のおもいのままにならないことは必ずある」

それを改めて頭に置き、

「うまくいかないこともうまくいくこともどちらも私には必要なのだ」

「今すぐにはその意味はわからないかもしれないけど、半年後、五年後、二十年後には、これはこういうことだったと知る日が来るかもしれない」

そう考えると、なんとなく視界がすっと透明になって、不安や焦りにあまり翻弄されなくなる。


とはいえ、そんな境地に至るまでの事態はそうそうない。
おかげさまで一度これで乗り切っても、案外、けろっとそんなことは忘れてしまう。
その方がたぶん良いのだとも思う。恐らくこまごました不満はありつつ、日常が安定しているのだから。

それが突然に崩れて崖っぷちに立ってああだこうだともがいてもどうにもならなくて、もうだめだ、もうやれることはない、どうすればいい、となったとき、ようやく思い出すのである。

「じゃ、あとはすべておまかせします」

何に任せるのか。
神か。
わからない。
強いていえば運や縁。
別にそれを神と呼んでもかまわない。

結局は自分の力の及ばないところにある、何かとてつもなくおおきなからくりだ。




昨日の私がまさにその状態だった。
今もそうだから、まだ続いている。
いつまでか。そんなの、わかるわけがない。
おまかせしちゃったらもうごたごた言ってもしょうがない。

何が起きているかというと、物件が、引っ越し先が一向に見つからないのである。

私の場合はいろいろ複雑な事情があるため、好き勝手に選べもしない。
また福祉から市外への転居を要請されているという条件もある。

十日ほど、いま住んでいるところの不動産屋さんが探した結果、ゼロ。
不動産屋さんも当惑するほどの難航っぷり。

では市内ならどうなのか、となったら、今度は市が許可をしない。
引っ越しの理由が父親から逃げるためならば同じ市内にいてはいけないのだと。
ごもっともなのだが、現実に、市外に引っ越し先がない。プロの不動産屋さんが探してくれても、ない。
市内なら何とか可能性はあるらしい。それも定かではないが、その不動産屋さんで調べた限り、市外にないのは確かだそうだ。

そこからは市と交渉。
市内で引っ越しをさせてほしい。
市は、不動産屋さんが探せないなら自力で探せと言う。市外で。
事件発生直後からずっと不動産屋さんにお願いするかたちで了承を得ていたにも関わらず、なら、自分で探してきて、となる。
これはこの状況を想定していなかった私にも非はあるが、念のために同時進行での家さがしを提案せず、ほかにも引っ越しにあたり大事な条件の伝達もれが何度も重なり、不動産屋さんを右往左往させつつ頼りっぱなしだった市にもやはり問題がある。

昨日の午前中、市と交渉を続けつつ、福祉に強いと評判の不動産屋もいくつかあたってみた。

まず何よりも、精神科への通院や現在無職であることを大家さんには隠し、だまし通すには大家さんと会わない距離での物件を選ぶしかないという。
今の家だってそうでしょうと断定されたから、私は不動産屋さんを通して大家さんのご理解を得ている、嘘はついていないし隠しだてもしていない、会えば普通にごあいさつをする、と答えたら、ならその不動産屋さんはうちよりやり手なんだからそこに頼めばと一蹴された。

他はそこまでのことは言わないけれど、電話の段階で、単純に、うちでは不可能だとの話だ。

市との交渉で行き詰まるならと県庁まで電話で状況を説明したら、その対応は確かにおかしいが、各市や自治体の方針を県はどうにもできないとのこと。それもよくわかる気がする。

他にもいろいろな窓口に相談し、不動産屋に問い合わせもしたが、どうにもならなかった。


なら、どうするか。


朝一番からあちこち電話をして、それでも何も見つからない。
まだ昼。
昼だけど、家でやれることはもうない。
できることはなくなってしまった。


なら、おまかせしよう。





たまたま、昨日は通院日だった。
予約は夕方から。
じゃあガンダムカフェに寄って、ほしかったグッズを買ってしまおう。

遠いようで、お店から病院のあいだはそんなに離れていない。

家でやれることはやった。
何かあるとしたら外だろう。
病院は不動産屋ではないけれどカウンセラーも医師もいる。

もうどうしようもないんだから、どうにかなるまで、おまかせしてしまえ。

そうと決めたらさっさと身じたくを整えて、ぐずぐずしないで家を出た。





電車に乗っているとき、私は大抵、音楽を聴いている。
けれど、きのうは無音でただ電車に揺られていた。

「そうなりますように」

あのことばをこころの中でくりかえしながら、両の手を組んで膝にのせていた。
これは神だのみなのだろうか。
ちょっと違うな、と思った。
私はまだやれることを探す気持ちを捨てていなかったから。

その上で、「そうなりますように」。

百の不動産屋に断られても私は次に行くし、医師に頼みたいことがいくつかあるからご相談できるし、窓の外に広がる家やアパートにそれぞれ人間が住んでいるのだから私だけが例外である根拠はない。

何であれ、「そうなりますように」。

できないことで悩んでいても何にもならないからせめて自分のできる楽しみのためにグッズショップに行くし、カウンセリング前にファミチキを食べるし、寒いからインナーの背中にカイロを貼る。

どうあっても、「そうなりますように」。





秋葉原を経て病院の最寄り駅で降り、目の前にあった不動産屋さんに飛びこんだ。
扉を全開にしてトイレに座っている若い男性の店員さんと目があった。

「すみません、一人なんでドア開けてて……もうちょっとで終わるので。お部屋をお探しですか」

背中を向けたまま、はい、と答えて、状況や条件を伝えた。裏取引のようだった。

ここでもうまくはいかなかった。
でも物件候補は見つかった。その先に進めなかっただけだ。
けれども、この現状での特殊な引っ越し、その話の持っていき方のコツは実地で学べたし、今の家から離れたこのあたり、今の不動産屋さんが扱う圏外まで来れば選択肢は激減するものの何とか物件がありそうだとわかった。

その後でカウンセリングで耳より情報を仕入れたり、医師と相談し、お願いごとをして、ちょっと前進できる可能性が生まれた。
そして病院から出て、もう一軒、別の不動産屋さんを訪れた。

そこで、かなり現実的な物件を見つけた。

ただ、福祉関連で不明瞭な点があったため、資料だけ頂いて帰宅した。





今朝、福祉の担当と相談し、こまかな確認を行い、そこなら問題ないのでは、ということになった。
同時に医師から再度「市内での転居を推奨」の旨を市役所に伝えてもらった上で、再検討の交渉も続けた。

肝心の不動産屋のほうは本日、休業。
しかし考えてみたら、その不動産屋ともし契約することになった場合、ちょっと遠い。

同じ物件を扱っている不動産屋が近隣にないか、探した。

あった。
しかも、そこが直接に管理している物件だった。

事情を説明したところ、とてもていねいに対応してくださり、福祉の担当へ直接に連絡をとって業務にあたり必要な情報などをすべて確認してくださった後で、また私から電話をした結果、明日、内見することになった。
私に不満がなければ申請の手続きも明日、できるそうだ。

ただし、審査の結果が年内に出るかはわからない。遅くなる場合、結果がどうでも、年明け、一月六日ごろまで据え置きになる。

審査を待つ時間が不安じゃないとは言えない。
怖くないと言ったら嘘になる。

でも、どんなに確実性が高くても、大家さんをだましたり、後ろぐらいやり方はしたくない。
もし嘘がわかったとき、じゃあ出ていってくれとなったら、ふりだしだ。しかも誰も良い思いをしない。

だから、「そうなりますように」。

少なくとも内見と申請をできるところまで来たのだ。
もし審査で落ちたら、その不動産屋でまた探してもらえるかもしれない。
私にとってはそれだけでも大きな収穫だ。

審査が長びくのも、すぐに出るのも、通るのも、通らないのかも、すべて、

「流れのままになりますように」。





だって私には私に都合のよい物件を生やすことはできない。
今すぐ健康でお金持ちになれるわけでもない。
でも大丈夫だ、と思う。

大丈夫じゃない、それはもう、自分に対して普段づかいするのをやめよう。

大丈夫。
そうなる。なんとかなる。





明日、クリスマスイヴ、内見。

きのう、いつもと違う路線で病院に向かったら赤羽を通るときにマリア・ステッラ像が見えたり、待合室でガラシャの番組が流れていたり、電車のなかでお経の本を読んでいるひとがいたり。
お導きというと安易すぎる気もするから、いま、私は集中していろんな自分に必要そうなものをひろえているのだと思うことにする。

そういうものをひとつずつ追っていったら、明日あさって、すぐにではなくても、そうなりますように。

たとえ今の私ののぞみどおりでなくても、そうなりますように。

受けとめて、落ち着いて行動し、祈る。

それが私の道ならば、そのままでありますように。
私はそれをあゆむだけなのだから。







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