自分の外にある情報よりも、まず内にある状態を信じる。
遅い時間の更新です。緊急事態宣言が明けたと思ったら、今度は各地で地震が発生、また10月にしては暑すぎる外気に、何だか落ち着かない人も多いのではないでしょうか。
よむこと、きくこと、言葉を使う人間だからこそのスキルを磨いていきたいと思う一方で、あくまで地球上の一動物である人間の、本能の部分とのバランスが大事だと最近心から思います。
例えば地震など、何かが自分の身に起きた時、私自身もそうですが、人はまず自分の外に情報を探しているように思います。周囲の環境はもちろん、テレビやインターネットに溢れている大量の情報を頼りに、自分の置かれている状況を把握しようとします。
今では当たり前に見えるこの行動ですが、テレビやインターネットで情報が得られるようになったのはごく最近の話ですし、それ以前のラジオですら、そこまで古い時代の話ではありません。また、ラジオから得られる情報量と比較すると、テレビ、さらにインターネットとその量は爆発的に増大します。
私たちが自分の外、しかも自分の身と離れたところから情報を受け取るようになり、またそこで処理するには多過ぎる量の情報に触れられるようになったことは、人間の歴史からすればものすごく小さな範囲での大きな変化だと思います。
ここで気をつけておきたいのは、人間が長い間使ってきた自分自身で感じる力を無視してはいけないということです。また、実際の感覚と脳の働きとは、時に相反します。例えば緊張や不快などのストレスを感じた場合に、人間の脳はその緊張や不快について知り、理解し、それらを取り除くことでストレスを解消する行動に出ることもあれば、それらをなかったことにして全く無視する形でストレスを解消することもあるのです。
そして、そんな危うさも内包する脳の働きに頼るしかないのが、外にある情報をよみ・ききして受け取るという、国語の力も含んだ人間ならではのスキルなのです。だからこそ、スキルと併せて自分自身のコンディション、感じること、また感じとる自分自身の状態がどうであるか、ということを自覚するのはとても大切だと思っています。
自分がどういう状態の時に、どんな情報に対して、どのように反応するか。それを普段から書き留めておくと良いのではないかと思います。同じ情報に対しても、自分のコンディションが違うと、異なる反応をする可能性があります。
地震などの不測の事態にも、まず自分の身の回りの状況、そして心の状態を自覚してから、必要かつ正確な情報を外に取りにいく、ができると理想的です。自分自身が落ち着かないまま、慌てて情報を外に取りに行くと、とんでもないデマをよむか、きくかしても、そのまま信じ込んでしまうこともないとは言い切れません。
言葉は、他者とお互いの状況や感覚、そして情報を伝達し共有できるすばらしいツールです。ただし万能ではありません。特に誰かの手を離れてテキスト化された言葉には、その場で本当かどうかを見分ける術がないのです。そういった自分の外にある情報を盲目的に信じ過ぎてしまうと、余計なリスクを背負う可能性があります。
実際に国語スクール-kaname-でも、ベースとなるコクリエ国語メソッドにおいて、コンディショニングという手法が取り入れられています。学習を始めるにあたり、集中を削ぐような、気になりごとなどについて、対話を通してそのストレス状態に対処・解消(軽減)し、心を整えた上で実際の学習を始めていきます。
まずは講師との対話を通して自分自身の状態を知り、またそれを習慣化していくことで自分自身の内も外も客観視できるようにする。そうして試験など緊張の高まる場面でも、自分自身の体調や感情なども含めた総合的なコンディションに対して、自分の状況を自覚した上で落ち着いて対処することができるようになっていくと考えています。そして、それはその後も自分の身に不測の事態が起きた時に、冷静に対峙できるとても大事な力として、育っていくはずです。
何が起こるか分からない今をしなやかに生きていくために、まずは今ここにいる自分自身の内なる状態に耳を澄まし、目を凝らす。そして自分の内に起きていることを自覚した上で、冷静さをもって外にある情報を受け取り、次の行動の判断に活かしていく。それが今一番必要とされる生きる力ではないかなと思います。