「赤裸々」な日記
8月後半から9月半ばまで、とにかく自分のコントロール外で大きな出来事が起こっていて、一言で言うと、本当に不本意なのだが「我を忘れる」月間であった。
締めくくりのように、9月9日からコロナに罹って、今も若干体力が戻り切っていないために本調子ではない。
丸4日、最高38.5℃の発熱を数年振りに経験して、喉の炎症により声を出しづらい状態が続いていた。
不思議なのだが、声が上手く出ないと、言葉自体出てきづらくなり、文章を書くにしても「喉につかえて出てこない」という体験をした。
よく周りから、話し言葉と文章のギャップが無いと言われるのだが、わたしの文章は本当に喉から発生していたようだ。
言葉が無いと、表現される自身がほとんど無くなるため、自分の存在感すら希薄になるように感じた。
しばらく忘れていたが、この感覚は身に覚えのあるものだと思い出した。
子供時代、沈黙が身を守る手段だった。
わがままを言わない、要望を訴えない、出来るだけ自分ひとりで解決し、大人の手を煩わせないことが幼いわたしの最大のミッションで、そうすることで大人からの干渉を避けていたのだが、好きなものや楽しいことについても極力話さないような子供であったため、わたしの本当の居場所が、誰からも見えないという状態になっていった。
自分だけが認められる居場所は確かに安全だったのだが、ひとり分の居場所なのに、ひとりで抱えることは存外難しく、他人からも切り離された場所で心細く身が削られていくような経験をした。
これと似たようなことが、ここ最近でも起きていたのだと思う。
8、9月まとめて「まとめ」を書くことになったのも、8月から起きていた嵐に、ここにきてやっと文章としてまとめることが出来るまでに、ひと段落ついた実感があるからである。
コロナで物理的に言葉を失う少し前から、自分でも気づかぬうちに、あっという間に自分を見失う体験をした。
30も過ぎて、それなりに自己を御する術も身に付けてきたと思っていたが、ここに来てまたこのような事態に陥るとは夢にも思わなかった。
自分らしさというのは、たくさんの人との間で暮らしている以上、常に揺れ動いているものだと思っている。
あるのはその時々の自分の居心地の良さで、そこをよすがに自分自身の輪郭の「今、このときの確からしい形」を認め続けるだけだと。
しかし動揺している時には自分の形が分からなくなって、受け身の取れない身体のまま外圧に押しつぶされてしまう。
9月に大きな別れを経験した。
自分がいつの間にかべこべこにへこんでいくような8月〜9月半ばを過ごした末の出来事だった。
わたしはわたしの大切な人の元で、確かに愛し愛されながら生活していたのだが、いくらお互いが真剣に聞き合おうとしても、個人が見えるもの、聞こえること、感じること、考えられることの限界はあって、ふたりの間でどうしようもなく引き裂かれてしまうものはある。
それは往々にして、お互いの環境の変化や諸々のタイミングなどでズレたり噛み合ったりする繊細なものだけれど、偶然心が通い合った瞬間を大事にし過ぎて、今は幻になってしまったそれを虚しく求め続けてしまうような、そんなことが起きていたように思う。
叶わないことを願い続けてしまう経験というのは、幼少期のトラウマと通ずるものがある。
先述した「大人の手を煩わせない子供でいる」というミッションは、だから放っておいて欲しいという願いを叶えるための手段だったし、その願いの先には、大好きな両親にそのままのわたしを見守っていて欲しいという願いを諦めた経緯があるし、根っこには「大切な人にただ自分を見ていて欲しい」という切ない願いがあった。
だから、今回もわたしは、伝えても伝わらない寂しさに心が折れて、少しずつ願いを諦めながら、よせばいいのに表面上の幸せにしがみついて、彼が望む可愛い女の子になり、自分を偽り沈黙することを選んでしまったのだと思う。
こんなのはもう懲り懲りだと、何年もかけて向き合ってきたものだったのに、いとも簡単に同じパターンにはまりこんでしまって驚いた。
朗らかで柔和な人だった。
楽しいことが大好きで、暮らしとイベントを分けて考えるタイプの人だった。
恋人になった途端、わたしは彼の「非日常」側に閉じ込められてしまったようだ。
わたしはどんなものを見聞きしても、その経験を自分の暮らしの中に落とし込むタイプだし、恋人も暮らしと密接に繋がっていないことにはこれから先を見据えることが出来なくて、心細くて仕方なくなってしまう。
なので、とても平たく言ってしまうと、絶望的に相性が悪かったということなのだろう。
しかし、突発的に表出する優しさが麻薬のような人だった。
それは、わたしを拒絶し続けながら「愛してないわけがないじゃないか」と言った父とダブった。
わたしにとってクリティカルな媚薬みたいな猛毒を偶然持ち合わせていた人に、翻弄されて、狂わされていたのだと思う。
悪意無く、誰が悪いということも無く、人が殺されていくことってあるのだ。
この日記には、彼を糾弾する意図はない。
ただ、わたしがわたしのために、整理して手放さなければならない、大切な出来事として書いている。
彼が大切だったし、楽しいことももちろんあった。
それらを宝物にするためにも、辛く苦しいことも含めて大切にしていくためにも、日々の出来事としてここに記しておきたかったのだ。
いつか、彼がわたしの日記を読んで、「赤裸々やねえ」と言ったことがあった。
赤裸々であることが大事なんじゃなくて、自分のために、出来るだけ嘘や隠し事をしないようにしているんだよ。
そして、正直な文章は、もしかするとそれを読んだ誰かを救うかもしれないことを、わたしは経験上知っているのです。
だから許してね。大好きでした。ありがとう。
8月のあらまし
2日 映画『クロース』鑑賞
3日 新美で蔡國強展のち、新宿で芸能山城組のケチャ祭りを見にいく
13日 高円寺オール飲み
21日 鹿島神宮
24、25日 舞浜周辺散策
29日 シネマ・チュプキ・タバタで『秒速5センチメートル』鑑賞
30日 かりねこラジオ番外編〜それぞれの8.15〜開催
31日 都内にライティング講座受けにいく
9月のあらまし
2日 群像の夜『アンダーグラウンド』編開催
3日 寺子屋
4日 恋人が家に来る
6日 ディズニーシー
7日 恋人帰宅
9日 発熱
11日 コロナと診断がくだる
空白の数日間を過ごす
18日 母と新美でテート美術館展
19日 新たに恋人が出来る
25日 映画『サスペリア』鑑賞
26、27日 恋人の地元を散歩するなど
28日 かりねこラヂオ
29日 お月見散歩する
30日 群像の夜『ボーンズアンドオール』開催
ご覧の通りすぐに新たな恋人が出来たのだが、その話はまた次回に。
でも、彼や、わたしの多分生涯特別な人である彼女がいたから、わたしはぎりぎり健康的でいられました。ありがとう。