文章筋トレをした話と、みんなたちへ
去る2月12日、音声配信アプリSPOONの友人の枠にて、リスナー参加型文字書きゲームをした。
ルールはこうだ。
1.参加者の中からひとりに文章のお題となるワードを提示してもらう。
2.お題から連想される短い文章を制限時間10分以内に作文する。
文章は小説の冒頭を想定して書く。
(キーワードそのものが文中に含まれていなくてもOK。お題のイメージから膨らませて文章を練る。)
3.2時間の枠内で5つのお題をこなし、最後にトータルで一番よかったと思う人、続きを読んでみたいと思う人に投票し、優勝者を決める。
面白そうでしょ。
わくわくしたので、いたずら仲間の友達、くしゃみちゃんと食べちゃんを引き連れて勇み足で参加してきた。
結果、ルールを見てもお分かりの通り、タイトな時間制限に怒涛のお題ラッシュで、無事アドレナリン過多、疲労困憊であったが、妙な高揚感と満足感があり、物を書く上でも大変勉強になった。
記録として、わたしといたずら仲間ふたりの作品を、ここに書き残しておこうと思う。
第1回目 お題『線』
イトメ作
もう一歩、前に進むだけ。
その一歩をどうしても踏み出せなかった。
大晦日の夜、波打ち際で凍えるわたしは、結局自らの境界線すら決められないまま、今でも左足だけが、2022年に取り残されている。
くしゃみ作
なおみはまだ、このことを知らないでいる。
なおみの書く線は、線と線が繋がって線が面となって、それが立体となる様を。
紙に指や黒鉛がすべり、だんだんと形が息づいてきた。
影と光だけがその事を知ってる。
食べて作
「ここ数日何を食べても美味しくない」と助手席で落ち込む祖母。
私は曇る祖母の顔を横目に、晴天の元淡路島を駆け抜ける。
山々すら置いてきぼりにして。
私だけが、今子午線を横切ったことに気づく。
第2回目 お題『影』
イトメ作
向かい合い、指に触れ合う。
微かに触れる指先から、彼女の震えを感じる。
これは脈動か、緊張か。それとも自らの震えの反映か。
そのうち体温すらどちらのものか分からなくなる。
あなたはわたしの影であり、わたしはあなたの影である。
くしゃみ作
眠る時に私たちがすることは決まっている。
息子のほとりはおもちゃ入れの篭を横に置くと、懐中電灯で照らすのだ。
そこにガチャガチャで日頃集めたモンスター達を綺麗に並べていく。
私たちだけの映画上映会の始まりだ。
食べて作
ひとり静かな冬の夜。
電気がついていなくても部屋の全てがよく見える。まだ眠れない。
長い時間の中で私は誰かと同じように太陽の影に包まれていることに気付く。
そうね、今はそれだけでいいかもしれない。
おやすみ。
第3回目 お題『音』
イトメ作
夜の散歩に繰り出す。
この、音楽を聴くための散歩はわたしの日課なのだ。
歩幅分の地べたがわたしの安全地帯で、イヤホン越しの音楽を道標に夜を切り開いていく。
「この街は僕のもの。」
くしゃみ作
しゅーーーーーコポコポコポ カコンッとこっとこっとこっカランッカラカラギャーーンシャッシャッシャポタッポタッコポッコポッ
今日はね、チョコレートとコーヒーを飲む日。
3人はいつもの部屋に集まった。
食べて作
彼女は聞いた「じゃあ好きな音はある?」
私は「あるよ!」とにんまりした。自分の中で確立したものがあるのだ。
「う!」
「う?」
「そう、う」
「う?」
不思議な顔をする彼女と不思議な時間が流れる。
せっかくお気に入りのお披露目をしたのにどういうことだ。
「う、だよ!」
一生懸命説明する。
「うの音がすきなの。あいうえおの、“う”!かわいいでしょ?」
「あ、“う”!」
彼女は大笑いした。
第4回目 お題『床』
イトメ作
父の怒号が、もやのかかる頭の隅の方で反響する。
わたしは今、階段を引き摺り下ろされているのかと、嫌に冷静なことを思っていた。
掴まれた右腕の痛みに気付いたのは、それから15年後のことだった。
くしゃみ作
うちの子は御歳5歳になるが、まだ言葉というものを使いこなせてはいない。
ただ伝える能力がピカイチなのである。
例えば静かにして欲しい時。忍ばせ足で「そーっとそっと」と言いながら歩くのだ。
食べて作
早朝、壁の向こうの廊下でチャッチャッチャと床が鳴る。
チャッチャッチャ。チャッチャッチャ。
愛犬が母を追いかけているのだ。
チャッチャッチャ。チャッチャッチャ。
今日もしあわせだなと二度寝をきめる。
第5回目 お題『タイヤ』
イトメ作
「純正もありだけど、サーキット仕様なら…」
家の男衆は、いつも車の話で盛り上がっている。
いつしか知識の披露のし合いが対話なのだと学んでしまった。
「楽しかったよ」「悲しかったよ」
屈託のない感情は行き場をなくして、今でも腹の底に澱となって沈んでいる。
くしゃみ作
よく色々な物を壊してくるやんちゃな子だった私には、エンジニアの父を持っていた。
父は傘や自転車のパンクやランドセルまでも直してくれた。
大人になったであろう今でもタイヤ交換に勤しんでいるのである。
食べて作
半円が土に埋まるタイヤが並ぶ。
タイヤより頭ふたつ分高い背丈の子供が一生懸命よじ登る。
満面の笑みの仁王立ちと共に母親のキャッチアンドリリース。
今日の小春日和はこの為かと私は信号の青色をサインに去る。
個人的なそれぞれの感想。
くしゃちゃんは、息子ちゃんとの話がとにかく良い。
『影』と『床』がとても好き。
宝物の記憶を見せてもらっている尊さに溢れていて、息子の感性を丁寧に扱っていること、息子の持ち物として尊重していることが、起きたことを飾り気なく表現しているからこそ強く感じる。
食べちゃんは、『線』がダントツで好き。
地点の移動と時間的移動、弱気な祖母を抱えながら「今ここ」にいる覚悟を持った主人公は、時間を司る「子午線」を越えていく。
食べちゃん固有の時間感覚や居場所の定義をこの短い文章で十分に感じられるし、概念的なものをテーマに据えつつ、文章はほとんど視覚からの描写なのも特徴的。
全ての文章を読んで感じるのは、この視点の裏には情緒がたくさん含まれている事を予感させるのに、表現自体は簡素かつ親密な空気が漂っていて、独特の爽やかさがあること。
それから、自分のを改めて読んで思うのは、ことごとく孤独がテーマにある文章を書くなということ。
前述の食べちゃんとは対照的に、身体感覚の描写ばかりで、より個人的で内省的でありながら、俯瞰視点の文体なので客観的な見方になっている。
時間と居場所にテーマありなところは食べちゃんと共通するけれど、身体感覚と俯瞰視点のわたし、視覚情報と心に寄り添った視点の食べちゃんで、対のようになっていて面白い。
まとめてみて思うのだが、これを10分で書き切った参加者たちは相当えらいよ…。
やりゃあなんとかなるなあと思ったし、極端に短い時間の中で絞り出すからこそ、思いがけず出てきた文章ばかりで、見返しても色々な発見があり、噛めば噛むほど味の出る、ボリューミーな企画だったと思う。
3人とも、実際の話ばかりが題材になっていたし、お互いに知っている話がたくさんあるが、書けるものが限られている分、どんな視点で何を大事に思っているのかがより浮き彫りになっていて、お互いの新たな発見がたくさんあったし、自分自身の知らない部分も発見出来た。
ここから学ぶことは多いし、これを使ってもっと遊べそうな、そんな広がりを感じる。
ちなみにちなむが、今年のわたしの抱負は「もっと文章を書く」と「もっと人懐っこくなる」なので、人を巻き込んでの文章筋トレ企画は、わたし自身がやりたくて仕方なくなっている。
わたしたちがゆるゆる続けている企画、映画感想会の「群像の夜」もそうだが、人が個人的な出来事を話す時に立ち現れる、個々の存在としての味わいと、それが表現の中にどうしても滲み出る瞬間というものが大好きで、大切にしたいと思うのだ。
みんなが安心して、自分だけの物語を持って来れる場所、それをみんなで尊重し合える場所を作っていきたいと、いつでも思っている。
SPOONなり、noteなり、Twitterなりで、また思い付きで企画を立ち上げると思いますので、その時はぜひとも参加してください。
わたしはみんなの文章を、あなたの文章を読みたいと思っています。