分断から対立へ|私たちの分断スキル
人は分断するのが得意、というのを最近よく聞くのですが、確かに人にはそういう一面があり、最近は特にそれが強い世の中なのだろうなぁと感じています。
人は他者と自分との違いを感じてそこから対立をうみ、争いに発展します。
今は戦争という分かりやすい対立ではなく、SNSなどの発信などによっての分断、対立が激しい時代です。いわゆる個の時代ですね。
この分断するというスキルは、もっぱら頭(思考)によって行われます。
人は分断、自分と他者との違いを明らかにすることで、
・自分の身を守ったり
・優劣を感じて自分という存在を確認する
ということをするわけで、この社会で生きていくのにとても大切な役割を担っています。
ただ文明社会はこれが強く刺激されすぎて、私たちは行き過ぎているのではないかなと思っています。
というのも本来人が自分と他者とは違うと思うのはただ、そう「思っている」だけであって、実は違いというものは存在しない、そこに気づけるかどうかがとても大切だからです。
以前の私はこれを「綺麗事」だと思っていました。
でも実際に非二元の世界観に触れ、自分の中に潜り込むとこれが綺麗事などではなく、真実に近いものなんだと感じています。
真実に近いもの、という言い方はとても曖昧ですが、本来は分断するものは一切なく、ただ何もない、何もないという言葉すらないのです。
ただそれを知るのが怖いので、私たちは自分に他の人にはない何かがあると思って分断し続けるのです。
私はよく感じることが大切、ということをお伝えするのですが、場合によっては徹底的に突き詰めるというのも大切なんじゃないかなと思います。
考えることは結局のところ、境界線を生んでしまうのでそこがネックではあるのですが、それもただの思い込みなわけで。
なのでもし思考でしか考えられないなら、徹底的に思考で考え抜いてみるのです。
なぜなら思考で徹底的に考え抜いてみると、私たちが持っている思い込み(分断)といったものはある程度消えてしまうからです。
「あいつが許せない」→「どうして許せないのか」→「だって許されない行為だから」→「本当にそうなのか?」→「・・・(言葉に詰まる)」
と言葉に詰まるまで自分で考え抜いていくと、「許せない」という考えがいかに考え抜いていない考えなのかが分かります。
なんとなく不快だから決めつけることで分断して、絶対安全な場所にいる。
自分だけが素晴らしく安全な場所で楽しく暮らす。
そんなことをしていたら、どんどん分断は広がり、私たちは本当は孤独じゃないのに孤独感を感じる、そんな世の中になるんじゃないかなと思います。
私もなんとなく可哀想とか、理由もなく許せないとか、そんなふうに思うこともありますが、やっぱりそういう時に矛先を相手に向けるのではなく、自分に向けられるか、ここがとても重要なターニングポイントだと思っています。