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海賊ブラッド外伝(10)~絞首台礁島


『ギャロウズ・キー(絞首台礁島)』という名が、これから語る出来事にちなんでいるのか、あるいはそれより以前から船乗り達の間でそのように呼ばれていたのかについては、今となっては確かめようがない。ジェレミー・ピットの記録にはこの点に関する記述はなく、そして現在、問題の小島の正確な位置は特定不可能である。確認可能な事実とピットの筆によるアラベラ号の航海日誌を元に言えるのは、それがアルバカーキ礁島群を構成する島のひとつであり、ポルト・ベリョの約60マイル北西、北緯12度西経85度に位置していたという事だけなのだ。

 それは単なる不毛な岩礁であり、東側にある砂洲に囲まれた礁湖の金色の砂に産卵する海鳥と亀くらいしか訪れるものはいなかった。浜辺の帯状地帯は約六十尋(約108m)の深さまでなだらかに傾斜しており、古代ローマの円形劇場のような岩によって形作られた礁湖の入口までは20ヤードもなかった。

 この荒れ果ててはいるが安全な避難所の中を、砲三十門のフリゲート艦アヴェンジャー号に乗ったキャプテン・イースタリングが航行していた。それは1688年4月某日の事だった。イースタリングの旗艦の後ろには、彼の船団を構成する二隻の船、ロジャー・ギャロウェイが指揮する砲二十六門のフリゲート艦ハーミス号と、クロスビー・パイクが船長を務める砲二十門のブリガンチン船ヴァリアント号が従っていた。クロスビー・パイクはかつてキャプテン・ブラッドと航海を共にした事もあり、下につくべき提督を乗り換えたのが自分の判断ミスであった事を悟っていた。

 このイースタリングという悪漢、ピーター・ブラッドが海賊稼業の入り口に立ったまさにその時に、この男が彼を騙し討ちしようとした手口が如何なるものであったか、その試みの結果として己の船団を失い、自身も海上を漂うはめになった顛末の仔細について、読者諸賢はご記憶の事と思う。

 しかし悪党の持つ美徳である根気と執念深さを発揮して、苦心惨憺の末に海賊船長という立場へと返り咲き、この時のイースタリングは以前に増す戦力と共にカリブの海上にあった。

 ピーター・ブラッドの言葉を借りれば、イースタリングとは単なる汚らしいパイレート(海賊)であり、冷酷で血に飢えた強盗であり、泥棒ですら持ち合わせているような一片の仁義にすら欠けた男であった。彼の追従者達は規律も要求されず、戦利品の分け前と関係のない規則には従わなくても良いという条件で集められた様々な国籍の無法者で構成されていた。彼等は相手かまわず海賊行為を働いた。スペインのガレオン船と区別なくイングランドやネーデルラントの商船も襲撃し、情け容赦のない野蛮なやり口についてもスペイン船に対した時と変わりなかった。

 バッカニア(海賊)達の間での悪評にもかかわらず、彼は果断な男であるクロスビー・パイクとその砲二十門の船及び統制の取れた一三〇名の乗組員に対して、ブラッド艦隊を離れて自分と航海を共にするように説き伏せる事が可能なまでになっていた。勧誘に使用した餌とは、イースタリングがかつてブラッドを騙そうとして失敗した、モーガンの隠し財宝に関するお馴染みの逸話だった。

 またしても彼は自分がどのようにヘンリー・モーガンと航海を共にし、パナマで略奪を行ったのかについての昔語りをした。地峡を跨いだ帰りの航程において――周知の話だが――実際に強奪したお宝の総量に比して明らかに少ない分け前への嫌疑が原因で、モーガンの手下達は叛乱寸前の状態になっていた事。モーガンが密かに略奪品のうち値打ちのある部分を密かに着服したのではないかと噂になった事。不満の高まりによって荷物が強制的に捜索され、噂が事実であると露見する事態を恐れたモーガンが、信頼するイースタリングに手助けを求めた事。彼等がその宝物――少なく見積もっても銀貨五十万相当の真珠と宝石――をチャグレス川堤防の某所に埋めた事。彼等は後日、ほとぼりが冷めた頃にお宝を掘り出しに戻るはずだった事。しかしながらモーガンはその後、否応もなく英国政府の役職を拝命させられて、遂にその命が尽きるまでの間に再びパナマを訪れる事はかなわなかった。イースタリングもまた、問題の地を再訪してはいなかった。何故ならば、彼には今までスペイン支配域の奥深く侵入できるだけの戦力も、掘り出した財宝の安全な運搬を可能にする強力な船もなかったからだ。

 キャプテン・ブラッドはそのような話は歯牙にもかけず、イースタリングのような無節操な悪党に協力するのはやめるようにと警告し、隠し財宝など存在するはずがないという彼の考えを言葉を尽くして説明したが、パイクは財宝の誘惑に屈してしまった。

 その騙されやすさに対する哀れみの為に、ブラッドは自分の艦隊を離れる事に関してパイクに対する怒りは感じていなかった。むしろ、これより先にパイクを待ち受けているであろう軽信の報いを思って彼の身を案じたものであった。

 ブラッド自身は目下、ダリエン遠征を計画していた。しかしイースタリングの地峡での活動によってスペイン側が警戒態勢を敷いている可能性があり、計画は延期した方が賢明であろうと判断していた。五隻の頑丈な船によって構成されている彼の艦隊は、現在は確たる襲撃対象を定めずに各々が散り散りになって航行していた。これは四月の始めの事であり、ダリエン遠征の試みが可能になっているであろう五月の終わりにミスキート諸島で再集結する手はずになっていた。

 ウィンドワード海峡を通って南進し、更にイスパニョーラ島の南海岸沿いに東へと航行してきたアラベラ号は、ティブロン岬から20マイル程の地点で浸水し沈みつつある英国商船と遭遇した。波の穏やかさが幸いし、大砲や他の重い装備一切を左舷に移動させて右舷船尾部に大きく口を開けた損傷部が水上に出るように保つ事で、その商船は辛うじて沈没をまぬがれていた。折れたスパー(円材)と裂けたメインマストが雄弁に物語る惨状から、ブラッドはこれをスペイン船による攻撃の結果であろうと考えた。だが救助に向かった彼は、想定に反してその船が昨日イースタリング一味による攻撃と略奪を受けた事を知らされた。イースタリングは乗組員の半数を斬り捨て、勧告に従って即座に旗を降ろさなかった事を理由にキャプテンを虐殺していたのである。

 アラベラ号はポートロイヤルまで10マイルの地点までその英国商船を牽引したが、ジャマイカ艦隊に発見される事を警戒してそれ以上は近付かずに、残りわずかの航程は自力で完了するようにと商船を残して去った。

 だが、それを済ませても尚、アラベラ号は再び東に向かおうとはせず、スペインの支配海域を目指して南に船首を向けた。

 シップマスター(航海長)のピットに対してブラッドはその意図を説明した。

「あのならず者のイースタリングから目を離す訳にはいかないからな、ジェリー。片目で睨むだけでは充分ではない」

 そして彼等が南へと向かうのは、既にイースタリングの船団がその針路をとっているからである。彼が語った財宝の話については、前述の通りブラッドは全く信じていなかった。ブラッドはそれを、パイクのようなカモを騙して仲間に引き入れる為の作り話であろうと考えていた。だが、間もなく彼の想定は誤りであると証明される事になる。

 彼等はミスキート海岸に静かに滑り入ると、チリキーの礁湖にある多くの島のひとつに快適な停泊地を見いだした。そこに潜伏する事を決定して程なく、ブラッドは斥候として雇った友好的なモスキート・インディアン[^1]達の報告によって約20マイル先でのイースタリング一派の作戦行動を知った。この報告から、彼はイースタリングがチャグレス川の入り口からわずかに西に寄った地点に錨を下ろしている事、既に三五〇名の手下を上陸させている事、そして当人も手下達と共に地峡の中に侵入している事を知った。イースタリングの全兵力に関する知識から逆算し、待機中の船を護る人員は百名もいないであろうとブラッドは判断した。

 自分自身が行動に出る機を待つ間、ブラッドはしばし寛ぐ事にした。船尾上に即席で作らせた日よけ(暑さは増しつつあった)の下に籐製の寝椅子をあつらえ、そこに落ち着いたブラッドはホラチウス[^2]の詩とスエトニウス[^3]の散文によって精神面での冒険を大いに楽しんだ。身体面での活動を欲した時には、澄んだ翡翠色の礁湖を泳ぎ、あるいは椰子に縁どられた無人島の岸に上って海亀を獲る部下達に仲間入りし、その肉を燻製にする為の木を切ればよいのだ。

 その間にもインディアンの斥候は、ダリエンへのバッカニア(海賊)の出現を察知したスペイン兵とイースタリングの手下との間で生じた最初の小競りあいについて報告してきた。その結果、イースタリングは現在海岸に引き返すべく行軍中であるという。更に二日後、彼はイースタリングとスペイン軍が再度遭遇し、海賊側は攻撃を退けたもののかなりの痛手を被ったとの報告を受けた。直近の報告は三度目の交戦に関するものであり、これはその戦闘に参加した人間による詳細かつ貴重な情報を伴っていた。

 その男は海岸に向けて進み続ける事を断念した、パイク配下の経験豊富な高齢の冒険家であった。キャンレイという名のその男は腿に受けた銃創により身動きができず、後退を図るイースタリングたちに置き去りにされていた。スペイン兵の目にとまらずに済んだ彼は低木の茂みに自力で這い入り、更にブラッドの斥候であるインディアンに保護される事となった。インディアン達は、この男が生き延びて自分の経験をキャプテン・ブラッドに話せるようにと丁重な扱いをし、男の不安を静める為に、彼がこれから運ばれるのはドン・ペドロ・サングレの許であると片言のスペイン語で説明した。

 彼等は細心の注意を払ってアラベラ号の船内に怪我人を運び入れ、ブラッドは手始めに外科医としての技能を駆使して酷く化膿した傷を手当てした。それが済むと、差し当たりの病室に充てられた船室でキャンレイは恨みと共に己の体験を物語った。

 モーガンの宝物は実在した。バッカニア達は既に待機中の船に財宝を運び入れていたが、その価値はイースタリングが語った以上のものだった。だがその為には甚大な犠牲が払われた――最も多くを負担したのはパイクの分遣隊であり、それこそがキャンレイの語る話に苦渋の色を濃くしていたのである。スペイン兵や敵対的なインディアンの一団が、入れ替わり立ち代わり現れては彼等を悩ませた。更に彼等は湿度の高い土地の中を蚊の大群に食い殺されそうになりながら進むうちに、熱と病気によって一人また一人と仲間を失っていった。船を後にした者は三五〇名だったが、キャンレイが自分の負傷した交戦後に数えてみた処では、生存者は二百名にも満たなかった。だが忌まわしい現実は、この生き残りに含まれるパイクの部下は二十名以下しかいないという事だった。パイクはイースタリングの命令により、三つの分遣隊のうち最も大勢である一三〇名の部下を上陸させていた。他の船には少なくとも五十名が残されていたにもかかわらず、ヴァリアント号の守備にはわずか二十名程しか残せなかった。

 イースタリングはパイクの分遣隊を常に前衛に置き、全ての攻撃の矛先が彼等に集中し被害を受ける事を意図しているように見えた。パイクが唯々諾々とこのような命令に従っていたはずもない。このような状況が続くにつれ、彼の抗議は痛烈さを増していった。だがイースタリングの古馴染みであるハーミス号船長ロジャー・ギャロウェイも加担して、命令に従うようにパイクを威嚇した。数を大きく減らしたヴァリアント号側に比して二人の海賊船長のたちの悪い手下達は大部分が健在であり、その数の優位により意思を押し付けるのは容易い事だった。仮にヴァリアント号の生存者全員が船に戻ったとしても、今となっては四十名がやっとであり、一方イースタリングとギャロウェイの手下を合計すれば三百名の手勢になるのだ。

「わかるでしょ、キャプテン」キャンレイは憂鬱な調子で締めくくった。「イースタリングの野郎が俺らを利用したやり口。猿が猫を使うみてぇなもんだ。そんで今、奴とギャロウェイ――腸の中まで真っ黒な二人組――は、クロスビー・パイクにゃ文句ひとつ言わせねぇ力を持ってやがるんだ。ヴァリアント号があんたの艦隊を離れてイースタリングの悪党とツルむ事に決めた日、ありゃぁ俺ら乗組員みんなにとっての厄日だった。あるかどうかもわからない財宝の分け前なんかの為に」

「あるかどうかもわからない財宝の分け前、か」キャプテン・ブラッドは繰り返した。「キャプテン・パイクがそれを手にする事はないだろうな」

 優美壮健な長身に膝丈の黒いズボンと銀糸の刺繍を施したウェストコート、薄地の白い麻布シャツを纏った彼は、患者のベッドの側に置かれた椅子から立ち上がった。黒と銀色の上着は患部の処置にとりかかる前に脱いでいた。ボウルと包帯、鉗子を任せていた白衣の黒人助手を手振りで下がらせてキャンレイと二人きりになると、彼は舷窓との間をゆっくりと行きつ戻りつした。彼の長くしなやかな指は思いに沈むように黒い鬘(かつら)の巻き毛をもてあそび、サファイアのように青い瞳は鋭く光っていた。

「パイクはイースタリングの顎にかかった小魚だ。だが、イースタリングが彼を飲み込んでしまうまでには、わずかの猶予が残されている。彼が生き延びられるか否かは、彼の行動次第だ」

「おっしゃる通りでさ、キャプテン。この目で拝んでもいないお宝なんざ、惜しくもないですよ。多分、ヴァリアント号の仲間達やキャプテン・パイクだって、実際に宝を目にする事はないんでしょうな。俺達のうち三十人でも生きて帰れりゃ、めっけもんってもんだ。俺は心からそう願ってます、キャプテン」

「私もだよ、ビダッド(主よ)[^4]」キャプテン・ブラッドはそう言った。だが彼の口元は断固とした表情を浮かべていた。

「キャプテン、浜辺の同胞団の名誉と公正にかけて、どうにかできませんか?」

「できれば私もそうしたい。艦隊が揃っていれば、すぐにでもヴァリアント号を助けに向かうのだが。だがこの一隻だけでは…」彼は突然言葉を切ると肩をすくめた。「見込みは少々厳しいな。だが、機を見て策を考えてみよう」



[^1]:ミスキート族。ホンジュラス・ニカラグアの先住民。スペイン人への対抗上、イングランドとは同盟関係にあった。古くは「モスキート・インディアン」とも呼ばれた。

[^2]:クィントゥス・ホラチウス・フラックス。ローマの詩人(BC65年 - BC8年)。

[^3]:ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス。ローマ帝国の歴史家、政治家(AD70年頃 – 140年頃)。主著『De vita Caesarum 皇帝伝』。

[^4]:bedadはby Godに同じ。アイルランドで使われる言い回し。


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