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海賊ブラッド (1)運命の使者

 医学士に加え他のいくつかの学士号を持つピーター・ブラッドは、パイプを燻らせながら、ブリッジウォーターの町のウォーター・レーン(小道)を見下ろす自室の窓敷居に置かれた箱植えゼラニウムの手入れをしていた。

 厳しい非難の目が向かいの窓から彼をにらんだが、気づかぬふりをした。ブラッドの注意は自分の作業と眼下にある小路を流れる群衆に向けられた。その本日二度目の行進はキャッスルフィールドに向かうものであり、そこでは今日の午後早くに、公爵[註1]の軍僧であるファーガソン師[註2]が神徳よりも大逆の鼓舞を多量に含んだ説教を聞かせていた場所であった。

 このまとまりのない興奮した集団は、帽子に緑の枝を挿し、手に手に馬鹿げた武器を持った男達を中心に構成されていた。何人かは本物の鳥撃銃を担ぎ、剣を振り回している者もいた。しかし大半は棍棒で武装するか、あるいは大鎌でこしらえた、実際の威力はさて置き、見た目は禍々しい巨大な矛を引きずっていた。織工、醸造者、大工、鍛冶屋、石工、煉瓦職人、靴直し、この即席の兵士達の中には、ありとあらゆる職種の者がいた。ブリッジウォーターはトーントン同様、率先して町中の成年男子を庶子公爵への奉仕に提供しており、武器を持てるだけの若さと壮健さを有しながらも従軍を拒否する者は、誰であれ臆病者かパピスト(旧教徒野郎)[註3]の烙印を押されたのであった。

 だが武器を持つ事が可能なだけでなく、その取り扱いも訓練を受けて熟練しており、そして確実に臆病者でもないがパピストであるピーター・ブラッドは、その暖かな七月の夜、何事も起こってはいないかのように、無関心にゼラニウムを眺め、パイプを燻らせていた。他にひとつ、彼が行った事があった。彼はその戦争熱に浮かされた熱狂者達の背にホラチウス[註4]の句――この詩人が度の過ぎた熱狂について書いた最初の節――を投げかけた。

「クオ、クオ、スケレスティ・ルイティス?(いずこへ、いずこへ、兇漢どもよ、押し寄せるのか?)[註5]」

 恐らくは疑問に思う者もいるだろう。母方の父祖であるサマセットシャーの冒険家達から受け継いだ激烈で恐れ知らずの彼の血が、この叛乱の熱狂的かつ狂信的な興奮の最中にありながら冷たいままでいるのは何故なのか、かつて父親により平穏な学問生活の枷を押しつけられた荒れ狂う魂が、この乱気流の真っ只中で静かなままでいるのは何故なのかと。この自由の旗――バラッド[註6]にも歌われているように、マスグローブ夫人等がモンマスの軍旗に必要な色の為に絹のペチコートを引き裂いて提供し、ミス・ブレイクの女学校の生徒であるトーントンの乙女達が縫い上げた旗――の下に集結したあの男達を、彼がどのように見ていたのかは明白である。そのラテン語の一節、丸石の敷かれた道路を騒々しく進んで行く彼等の背に向けて馬鹿にしたように投げつけた詩句が、彼の内心を如実に物語っていた。彼にとって、あの者達は邪悪な狂乱と共に己の破滅へと突進する愚者であった。

 そう、彼等がこの叛乱を起こす際に掲げた大義名分である嫡出の話に騙されるには、彼はあのモンマスという輩と、その生みの母である可愛い褐色の尻軽女[註7]について、あまりに多くを知り過ぎていた。彼はブリッジウォーターの四ツ辻に貼り出された馬鹿馬鹿しい宣言を既に――それがトーントンや他の町で公表された時に――読んでいた。『大君チャールズⅡ世[註8]の崩御により、イングランド、スコットランド、フランス及びアイルランドの王位とそれに属する統治権と領土とが、チャールズⅡ世陛下の御子息にして法の定めし相続人、最も輝かしくも高貴なる御生まれにあらせられるモンマス公爵ジェームズ殿下に正統に継承され移譲された事を公表するものである。』

 更なる宣言が公表された時には、彼は笑わずにいられなかった。『ヨーク公ジェームズ[註9]はまず先王を毒殺し、そして直ちに王位を簒奪し、王権を侵害したものである。』

 それが真っ赤な嘘に過ぎないのを彼は知っていた。ブラッドは、このジェームズ・スコット――先頃、自分は神の恩寵によりてイングランド国王その他の地位に就いたジェームズⅡ世であると宣言した人物――が約三十六年前に誕生した場所であるネーデルラントで人生の三分の一を過ごし、くだんの人物の本当の父親に関する当地の噂を聞いていた。嫡子――チャールズ・スチュアートとルーシー・ウォルターの形式に則った秘密結婚による――どころか、余はイングランド王也と宣言したこのモンマス公が、亡き国王の庶子ですらない可能性まであったのだ。破滅と大惨事以外に、このグロテスクな要求の結末に待ち受けるものがあるだろうか?イングランドがこのようなパーキンの類[註10]を鵜呑みにする可能性があるなどと、どうしたら期待できるのだろうか?にもかかわらず、彼の荒唐無稽な要求を支持する為に、少数の紋章持ち[註11]のホイッグ党員に扇動された西国[註12]の馬鹿どもが武装蜂起に誘い込まれたのだ!

「クオ、クオ、スケレスティ・ルイティス?」

 彼は笑いと溜息を同時に吐き出した。しかし他者を恃まず己を恃む人間の常としてブラッドも無闇な同情はせぬ性分であった為に、笑いが溜息を凌駕した。彼は極めて独立独歩の人間であった。逆境が彼にそのようにあれと教えたのである。彼と同じ洞察力と知識を有した、彼より情にもろい人物ならば、この情熱的で単純なプロテスタントの羊達が屠殺場――妻や娘や恋人や母親に見送られ、正義、自由、信仰を守る為に出陣するのだという虚妄を土台にして呼び集められたキャッスルフィールドの集合地――に向かう様を見て涙したかもしれない。何故ならば、彼を含むブリッジウォーター市民は全員、数時間前に知らされていたのである。モンマス軍は今夜、敵を強襲するつもりであると。モンマス公は現在セッジムーアで野営しているフェバーシャム[註13]指揮下の国王軍に対し、奇襲攻撃を行うはずであった。ブラッドはフェバーシャム伯の方もその情報は掴んでいるであろうと推測したが、もしこの仮定が間違っていたとしても、少なくともそれは彼の責任ではない。国王軍の指揮官ともあろう者が、自分専門分野に関してそれほどお粗末な手腕であるとは彼には思えなかったのだ。

 ブラッドはパイプから灰を落とすと、窓を閉める為に後ろに下がった。その時、道の向かい側に目を向けた彼の視線は、ようやく非難を込めて自分を見つめる視線と交差した。二対の目はピット家の娘達、ハンサムなモンマス公を崇拝する事にかけてはブリッジウォーターで一番の、気だてが優しく情にもろい二人の老嬢達であった。

 ブラッドは微笑して頭を下げた。この婦人達とは懇意にしており、その片方は一時期は彼の患者であったからだ。しかし彼の会釈は無視された。その代わりに彼女達は彼に冷たい軽蔑の視線を返した。ブラッドの薄い唇に浮かんでいた微笑はやや広がり、やや陽気さが減じた。彼はその敵意の理由を理解した。それはモンマスがあらゆる年代の女性達を惑わす為にやってきてから、この一週間、日毎につのっていた。察するに、このピット家の姉妹は、若く壮健な男でありながら大義に貢献するであろう軍事教練から距離を置いている彼を蔑んでいるらしい。志ある男達がプロテスタントの擁護者たるモンマス公の許に結集し、彼を正統なる王座に就ける為に血を流そうとしている時に、ブラッドは今宵もいつもの夜と変わりなく、静かにパイプをふかしてゼラニウムの世話をしているのだ。

 もしブラッドが辞を低くして婦人達とこの問題について議論をしていたならば、自分は既に放浪と冒険は存分に経験しており、今は自分のおさめた学問によって元来予定されていた堅実な職に従事しているのだと力説していたかもしれない。自分は戦争ではなく医学に従事する人間なのだと。治療する者であって、殺害する者ではないのだと。だが彼にはわかっていた。このような時局にあっては、気骨ある男ならば一人残らず武器をとる義務があると彼女達は言うだろう。この婦人達は、船乗りを職業とし、ある船――その若者にとっては運の悪い事に、この情勢下にブリッジウォーター港に錨を下ろしていた――の航海士を務めている甥のジェレマイアを例に挙げる事だろう。既に彼は正義を守る為に舵棒をマスケット銃に持ち替えていた。しかしブラッドは他者の理解を欲する類の男ではなかった。先に述べたように、彼は己を恃む男であった。

 窓を閉じてカーテンを引き、蝋燭に照らされた快適な室内に身を向けると、家政婦のバーロウ夫人がテーブルに夕食を広げていた。彼は夫人に向かって述懐した。

「この界隈の気難しい御婦人達からは、お見限りのようだね、私は」

 彼は彷徨の間も決して失われなかったアイルランド訛により金属的な響きが和らげられた、心地よい活気に溢れた声をしていた。それは魅惑的になだめすかすように訴える事も、服従を強いるよう命ずる事も可能にする声であった。実際、この男の個性の少なからぬ部分を占めているのは、その声であった。残りの要素は長身で贅肉のない痩せた体とジプシーのように浅黒い肌、その浅黒い顔の水平な黒い眉の下に位置する、驚くほど青い目だった。高い鼻梁を挟んだきらめく瞳と精悍な鼻は、非凡な洞察力と揺らぐ事無き不遜を示しており、引き締まった唇と調和していた。職業柄、黒衣を着てはいるが、それは現在の職業である堅実な医師よりも、かつて彼がそうであった冒険家特有の伊達者振りからくる優雅さが感じられた。彼のコートは見事なキャムレット織で、銀糸で縁取られていた。手首にはメクリンレースのひだ飾りが、そして喉元にはメクリンレースのクラバットが結ばれていた。彼の豊かで黒い鬘(かつら)はホワイトホール宮殿に集う人々にも劣らぬほど入念にカールされていた。

 彼に会い、その明らかな本性を見て取った者は、半年前に偶然のめぐり合わせによって流されてきた小さな田舎町で、このような男がどれほどの間大人しくしていられるものだろうか、彼がその人生のスタート時に免許を取得した職業をどれほどの間続けていられるだろうかと訝しんだ事だろう。ここに到るまでの、そしてこの後の彼の経歴を知る者には、それが長続きすると信じるのは難しいだろうが、しかしそれでも運命の悪戯さえなければ、彼はこの平穏な暮らしを続け、サマセットシャーという停泊所での医師生活に腰をすえて取り組んでいたかもしれない。その可能性はあった。おそろしく低いものではあるが。

 アイルランド人医師の息子である彼には、生母であるサマセットシャーのレディから探検家のフロビッシャー一族[註14]に連なる血が受け継がれているという事実が、幼い頃から顕著であった冒険好きな性分の理由と言えるかもしれない。この蛮性は、並はずれた平和主義の気質であったアイルランド人の父親を恐れさせた。彼は少年に自分の高潔な職業を継がせようと早くから心に決め、そして飲み込みが早く、知識を求める事に奇妙なほど貪欲であったピーター・ブラッドは、ダブリンのトリニティー・カレッジ[註15]で二十歳の時にバカラウレウス・メディシナエ(医学の学士号)を取得する事で父を満足させた。彼の父親が満足のうちに世を去ったのは、それからわずか三ヶ月後であった。母はその数年前に亡くなっていた。かようにしてピーター・ブラッドには数百ポンドの財産が遺され、それを元にして彼は世界を見る為に旅立ち、その期間は己に染みついた彷徨する精神の手綱を解き放ったのである。奇妙なめぐり合わせが、彼をフランスと戦争中のネーデルラント軍に身を投じるように仕向けたが、この選択に到る要因は海に対する彼の偏愛にあった。彼は高名なデ・ロイテル[註16]の下で重用され、その偉大なネーデルラントの提督が落命した地中海における戦闘に参加した。

 ナイメーヘンの和約[註17]後の、彼の行動は定かではない。しかし詳しい経緯は不明だが、彼がスペインの刑務所で二年を過ごしたのは確かである。釈放後に彼がフランス軍に仕官してネーデルラントを支配するスペイン軍と戦う事になったのは、この経験が影響しているのかもしれない。三十二歳になった頃、ようやく冒険にも飽き、怪我の不養生によって健康を損なったブラッドは、突然の里心に襲われた。彼はナントからアイルランドに向かう船に乗った。しかし彼の船は荒天によってブリッジウォーター湾に流され、航海の間に病の悪化したブラッドは、そこが母の故国であったという縁もあり、陸に上がる事を決意した。

 かくして1685年1月、彼は十一年前にダブリンから旅立った時とほぼ同じ資産を持って、ブリッジウォーターに到着したのである。

 自分の健康を急速に回復させたこの土地を気に入り、もはや一生分の冒険を経験したと考えた彼は、そこに居を構えて今まで持ち腐れにしていた医学の専門知識を役立てようと心に決めた。

 それが六ヶ月後、セッジムーアの戦いが行なわれる夜までに彼の経験してきた全て、もしくはその主な部分であった。

 差し迫った軍事行動など自分とは関わりないものと見なし、また確かに何の関係もないブラッドは、その夜のブリッジウォーターを騒然とさせていた活動にも無関心なまま、騒音に耳をふさいでさっさと床に就いた。彼は十一時前には既にのんきに眠っていた。ご存知のように、その時刻、モンマスは馬を馳せていたのだが、しかしこの叛乱勢力の首魁は正規軍との間に横たわる湿地帯を避けて迂回し、ブリストル街道沿いに移動していた。これもまたご存知のように、叛乱軍の数における優勢――ひょっとすると、正規軍の統制力に対する不利を相殺できていた可能性もあるほどの――と、敵の寝込みを襲う奇襲攻撃から生じる利点は、彼がまごついて好機を逃した事によってフェバーシャム伯と実際に交戦する前に全て失われてしまっていた。

 両軍は午前二時頃に激突した。ブラッドは大砲の遠い轟きにも眠りを乱される事はなかった。四時になる前には悲惨な戦場を覆う靄(もや)の最後のひと切れを追い散らす太陽が昇り、彼は穏やかな眠りから目覚めた。

 彼はベッドにきちんと座り、目をこすって眠気を払い意識をはっきりさせた。強打の音は我が家のドアに響くものであり、そして人声は支離滅裂に彼を呼ぶものだった。彼を叩き起こした騒音の正体はこれであった。誰かが産気づいたのかと考えて、彼は階下に行く為にベッドガウンと室内履きに手を伸ばした。踊り場で彼は、起き抜けの見苦しい姿でひどく取り乱したバーロウ夫人と危なくぶつかりそうになった。ブラッドは安心させるような言葉をかけて雌鶏そこのけに騒ぐ彼女をなだめると、自ら扉を開けた。

 そこには早朝の黄金の斜陽を浴びて、息を切らした必死のまなざしの男と湯気を立てた馬がいた。埃と汚れにまみれ、ダブレット(上衣)は乱れて千切れた左袖が胴衣からぶら下がるという有様で、その若者は話しだそうとしたものの、なかなか言葉が出てこぬ様子であった。

 ブラッドは会釈すると、それが向いに住む老嬢姉妹の甥であり、世間の熱狂によって既にあの叛乱の渦に引き込まれている若き航海士、ジェレマイア・ピットであるのに気づいた。この船乗りの騒々しい到来によって目覚めさせられた街路は活況を呈した。いくつものドアが開き、格子窓は掛け金を外され、不安と好奇心に駆られたいくつもの頭が突き出していた。

「落ち着きたまえ」ブラッドは言った。「無闇に急かさないでくれ」

 しかし興奮した面持ちの若者は警告を意に介さなかった。彼は突然に大慌てで、息を切らしながら途切れ途切れに話し始めた。

「ギルドイ卿です」彼はあえぎながら言った。「怪我をしてるんです…川の側のオグルソープの農場に……俺はそこに運んで…それで…貴方を呼びに……来て!来てください!」

 彼はブラッドを掴み、そのままベッドガウンとスリッパ姿の医師を力ずくで引きずって行きかねぬ勢いだった。だがブラッドは、そのあまりにも必死な手から身をかわした。

「心配ない、行くよ」と彼は言った。ブラッドは心を痛めていた。彼がこの辺りに居を構えて以来、ギルドイ卿は彼にとって非常に友好的で寛大な後援者だった。そしてブラッドはその恩を返す為にできる限りの事をしたいと心から願っていたが、その機会がこのような形で訪れたのを悲しく思った――何故なら彼は、あの向こう見ずな若い貴族が公爵の密使を務めていた事をよく承知していたのである。「大丈夫だ、行くよ。だが、まずは服を着て身支度をする時間をくれたまえ」

「ぐずぐずしてる暇はないんです」

「落ち着きなさい。すぐに行く。いいかい、慌てずに行動した方が時間を無駄にしないで済むんだ。中に入って……椅子に座りなさい……」彼は居間の扉を開け放った。

 ピット青年は招待をはねつけた。

「ここで待ちます。お願いだから急いでください」ブラッドは服を着て診察道具のケースを取ってくる為に引っ込んだ。

 ギルドイ卿の傷の正確な状態についての質問は、彼等が患者の許に向かうまで保留された。ブーツをはきながら、彼はバーロウ夫人に自宅でとれないであろう夕食等の、今日の仕事についての指示を与えた。

 機嫌の悪い雌鶏のように背後で不平を言うバーロウ夫人を残し、ようやく再び外に出ると、彼は戦況を知る為にあわてて服をひっかけ駆けつけてきた不安げな近在の人々――主に婦人達――に取り囲まれたピットを目にした。彼が提供できるニュースは、朝の空気を乱す悲嘆と共に読まれる類のものであった。

 服とブーツを身に着け、診察道具のケースを小脇に抱えて表に出たブラッドは、涙ぐみながらすがりつく二人の叔母に閉口し、押しのけるようにして逃れてきたピットが手綱をとって鞍に登る姿を目にした。

「こっちです、先生」彼は叫んだ。「後ろに乗って」

 ブラッドは無駄口をきかずにその言葉に従った。ピットは馬に拍車をかけた。野次馬達は道を開け、かくして、二人乗りの馬の尻上で同乗者のベルトに密着し、ピーター・ブラッドは彼の長い長いオデッセイ(漂泊の旅)に出発した。ブラッドが単なる叛乱軍の負傷した紳士の使者としか思わなかったこのピット青年、彼こそが、まさしく真の運命の使者だったのである。

[註1]:モンマス公ジェームズ・スコット(1649年4月9日 - 1685年7月15日)
後の英国王チャールズⅡ世がオランダ亡命時代に愛人ルーシー・ウォルターとの間にもうけた庶子。モンマス公、ドンカスター伯、タインデイル男爵の称号を持つ。プロテスタント。

[註2]:ロバート・ファーガソン(1637年 - 1714年)
スコットランドの長老派教会(プロテスタントの一派)牧師。モンマス公の国王宣言を起草した。チャールズⅡ世およびヨーク公ジェームズ暗殺未遂事件である1683年の「ライハウスの陰謀」にも関与しているとされている。仇名は"the plotter (陰謀家)"。

[註3]:papist 「英国国教会よりも教皇(Pope)に信仰上の忠誠心を寄せる人」という意味で、イングランドにおいてローマン・カトリックを(主に蔑視のニュアンスで)呼ぶ際の言葉。

[註4]:クィントゥス・ホラチウス・フラックス(BC65年 - BC8年)。ローマの詩人。

[註5]:ホラチウス『Epodi頌歌』第7歌より、自滅しつつあるローマ帝国を嘆いた詩。

[註6]:"The glory of the west, or, The virgins of Taunton-Dean Who ript open their silk-petticoats, to make colours for the late D. of M's army, when he came before the town, a song."

[註7]:モンマス公の生母ルーシー・ウォルター(1658年没)を指す。
同時代人の作家ジョン・イヴリンはルーシーを評して"a brown, beautiful, bold but insipid creature(褐色の、美しい、奔放な、しかし退屈な女)"と書き残している。ルーシーは生涯正式な結婚をせずに複数の有力な男性の間を渡り歩いた女性だった。

[註8]:チャールズⅡ世(1630年5月29日 - 1685年2月6日)
清教徒革命により斬首刑に処されたチャールズⅠ世の息子。革命勃発前の1646年に英国を脱出し亡命生活を送る。クロムウェルの死後に復古王政の国王として帰国し、イングランド及びスコットランド、アイルランド王として即位した(在位1660年5月29日 - 1685年2月6日)。十三人の愛妾との間に十四人の庶子をもうけたが、正嫡はいなかった。

[註9]:英国王チャールズⅡ世の弟(1633年10月14日 - 1701年9月16日)、後の英国王ジェームズⅡ世(在位1685年2月6日 - 1688年)。ヨーク公、オールバニ公。カトリック。

[註10]:叔父リチャードⅢ世により王位継承権を剥奪された初代ヨーク公リチャードは1483年に幽閉されて以後は生死不明のまま消息を絶ったが、約十年後に「生きていたヨーク公」を詐称するパーキン・ウォーベックという男が支持者を集め武装蜂起を試みて失敗、1499年に絞首刑に処された。

[註11]:スコットランドのキャンベル氏族の族長であったアーガイル伯爵アーチボルド・キャンベル等の、ヨーク公即位反対派(ホイッグ党)を指すと思われる。

[註12]:West Countryはコーンウォール、デボン、ドーセット、サマセットを中心とした英国南西部を指す。ブリストル、グロスターシャー、ウィルトシャーの一部を含む場合も有。

[註13]:第二代フェバーシャム伯ルイス・ド・デュラス(1641年 - 1709年)

[註14]:ヨークシャー地方出身の16世紀の探検家・海賊、サー・マーティン・フロビッシャーの一族を指すと思われる。

[註15]:正式名称はThe College of the Holy and Undivided Trinity of Queen Elizabeth near Dublin(ダブリンにおけるエリザベス女王の神聖にして分かたれざる三位一体大学)。1592年創立。英語圏最古の大学のうちの一つ。創設者はイングランド女王エリザベスⅠ世。

[註16]:ミヒール・デ・ロイテル (1607年3月24日 - 1676年4月29日)
第二次、第三次英蘭戦争で活躍したオランダ(ネーデルラント)の名将。1676年にシチリア島のカターニャ沖海戦で戦死。オランダの紙幣に肖像が採用されていた時期もあった。

[註17]:オランダ侵略戦争の講和条約。1679年にネーデルラント連邦共和国のナイメーヘンで締結された。

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Captain Blood本編の全訳に加え、時代背景の解説、ラファエル・サバチニ原作映画の紹介、短編集The Chronicles of Captain Blood より番外編「The lovestory of Jeremy Pitt ジェレミー・ピットの恋」を収録

1685年イングランド。アイルランド人医師ピーター・ブラッドは、叛乱に参加し負傷した患者を治療した責めを負い、自らも謀反の罪でバルバドス島…

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