サバチニ歴史夜話~ヴァンデミエールの勝利者
サバチニによる前書き
『ヴァンデミエールの勝利者』の中で私が披露しているのは、純然たる政治的意図に基づいた嘘の一例にあたり、典拠となる文献が存在していなければ、事実無根を理由に本短編集【註1】への収録は見合わせるべき類の作り話である。私は単に背景情報や物語に生命力と躍動感をもたらすのに必要なディテール描写の参考とするに留まらず、このささやかな喜劇における主演俳優の一人であるバラスの回顧録【註2】中で語られている事を、そっくりそのまま再話した。
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネとボナパルトの出会いが、このようなものではなかったというのは良く知られている。二人の初顔合わせはヴァンデミエール事件【註3】の前であり、マダム・タリアン【註4】の館でバラスが彼を社交界に紹介した際であった。同様に、ボナパルトにイタリア方面軍司令官の地位が与えられたのは、バラスにしてみれば――ボナパルトは想像だにしなかったであろうが――既に飽きがきていた妾の持参金代わりであったと信ずるに足る理由も多数ある。事実としては、この虚栄心が強く堕落した不正直な政治家は、若きコルシカ人の力と才を認識し、いずれ彼に頼り、利用してやろうという魂胆から抜擢したのである。便利に使われる事に対するボナパルトの拒絶、既に登り切った用済みの梯子を脇に押しのける行動はバラスの恨みを買った【註5】。彼の怨恨は中傷自体が雄弁に物語っており、これはその顕著な一例である。ラ・モンタンシェ【註6】の物語は、単にヴァンデミエール事件に関してバラスがしたためた信用ならぬ記述の一部に過ぎない。残る部分において、バラスはもっぱら己を持ち上げてボナパルトを単なる副官に過ぎぬように描写し、反乱鎮圧で果したボナパルトの役割を矮小化しようとしている。しかしラ・モンタンシェに関するくだりでは、彼はボナパルトが卑劣で打算的に見えるよう意図し、その結びにおいては、心無い利己主義者の恩知らずとして描いている。これは反証が容易でない為に歴史の中で定説と化していた可能性もある、数多ある無慈悲で冷酷な、ささやかな喜劇のひとつなのである。
"The Historical Nights' Entertainment, 3rd Series" 序文より
訳註
【註1】:"The Historical Nights' Entertainment, 3rd Series(1937年刊行)" 「歴史実話を極力創作要素を排して短編小説形式で描く」をコンセプトにしたシリーズの一冊。殺人事件や詐欺事件などを扱ったツイストのある短編が多い為、シリーズ中の何編かは大正時代に翻訳されて探偵小説雑誌に掲載されている。
【註2】:"Mémoires de Barras, member du Directoire" 失脚後のバラスが執筆した回顧録。
【註3】:テルミドール事件後、政治腐敗と経済の悪化により現政権の人気が失墜し、次回選挙では王党派が多数の議席を獲得すると予測された。その為、政府は現職議員が圧倒的有利になるように選挙法を改正したが、革命歴第Ⅳ年葡萄月13日(1795年10月5日)、それを不満とする王党派を中心とした人々が蜂起し、国民公会を襲撃した。ちなみにこの時、フランスに帰国中のバッツ男爵もデモに参加、逮捕投獄されている。
【註4】:テレーズ・カバリュス(1773年7月31日-1835年1月15日)
革命期フランスを代表する美女。テルミドール事件当時には投獄されていたが、獄中から愛人であるジャン=ランベール・タリアン議員に密書を送り、ロベスピエールに対するクーデター参加を促した。これにより「テルミドールの聖母」の渾名を得て社交界の花形となる。本作の時期(1795年)にはタリアンと結婚している。
【註5】:イタリア遠征の成功で英雄となったナポレオンは革命暦第Ⅷ年霧月18日(1799年11月9日)、総裁政府に対するクーデターに参加。これにより失脚したバラスは政治生命を絶たれて隠遁。
【註6】:マルグリット・ブリュネ(1730年12月19日-1820年7月13日)
芸名「マドモアゼル・モンタンシェ」。女優としての能力だけでなく、起業家、経営者としての手腕も極めて優秀であり、王妃マリー=アントワネットの引き立てにより、パリをはじめとするフランスの大都市における興行に関する特権を与えられ、ショービジネスの世界で大成功した。王政時代にはベルサイユにテアトル・モンタンシェという小劇場を持ち、革命後はパレ・ロワイヤルのアーケードにある劇場テアトル・デ・ボジョレーを時流に合わせて何度も改名しつつ1806年まで切り回した。
ヴァンデミエールの勝利者
革命の間、あれやこれやで彼女は百万フラン以上を失ったが、テルミドールのクーデターが突然にあっけなく恐怖政治の幕を下ろしていなければ、確実に生命をも失っていただろう。
彼女の罪は、その巧みな手腕によって劇場や他の事業を切り盛りして築いた富――偶々、政府の投機メンバーに選ばれた人間でもない限り、過ぎた蓄財は、それ自体が「我は模範的市民に非ず」と喧伝するようなものだ――だけでなく、パレ・ロワイヤルにある彼女の劇場のお陰で革命以前に結ばれた、王侯や貴族、その手の追い剥ぎに類する輩との、愛国精神を持つ女性としては親密に過ぎる交友関係の方が甚だしき問題であった。善良なる愛国者たちが日々のパンにも窮している間、今はめでたくも首をちょん切られた専制君主の革命以前の宮廷における革命以前の貴婦人たちは、彼女の劇場に集い国の富を浪費してファッションの研究をしていたのだ。この深刻なる罪は、果たして過去の話で済ませても良いものであろうか?マドモアゼル・モンタンシェがドレスの流行を生み――それを人気女優ラ・コンタ【註1】が身に着け、更にそれを王妃のドレスメーカーであるラ・ベルタン【註2】が宮廷にまで持ち込んだのだ――、同じく他の様々な、更に一層恥ずべき贅沢品の流行をも先導していたとは考えられないか?
かようにアルゴスの百眼鬼が如く目ざといのが、ロベスピエール一派なのである。
旧体制がめでたくも綺麗さっぱりと拭い去られた今となっては、ラ・モンタンシェが自分の劇場を、主導者ロベスピエールその人を含む全ての真に進歩的な議員が属している山岳派に敬意を表して、ル・テアトル・ド・ラ・モンターニュ――山岳劇場――と改称したのも無駄であった。そのようなものは、アルゴスの目に入った埃に過ぎなかった。そしてアルゴスはあまりにも沢山の目を持っているので、例え媚びへつらいとして効果的な埃であっても、そうそう簡単に盲目になってはくれないのだ。
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