A スイカボランティア🍉ー5回
* 第5回・浪江町スイカ・ボラ桑折駅前応急仮設住宅へ(2013年7月17日) 水曜日
〇 5時半起床、ラブといつも通り散歩、その後、車にスイカ🍉52個ときゅうり、なす🍆、トマト🍅を積み込む。7時40分出発進行。常磐自動車の中郷SA、磐越自動車の差塩SAで休憩。11時半ころ無事に届きました。
昨年同様に集会所前に30数名の方が集まつていました。もちろんスイカを切る準備のテーブル・まな板・包丁等準備万端、ありがたいです。出長所の伊藤様が車を誘導してくれました。石井副会長を紹介されました。
シートを敷いて、スイカ52個とトマト・きゅうり・なすをア~と言う間に下ろしました。皆さんの前で、石井副会長が12.6kgの大玉スイカをきりました。中は真っ赤で美味しそう。よかった!
おばさん達は、なれた手つきで次から次えと切っていきました、人も集まつて来ましたが?昨年は小学生もいたのですが見当たりません!・・それにしてもお年寄りの方ばかりです。
石井副会長が私に「仮設住宅はお年寄りばかりですよ、若い人はほとんどいません、働かないと生きていけないので、新しい仕事を探して出て行きました。ここに住んでいる方の中に、今ここに出てこない方々もいるのですよ!理由はもちろん原発爆発人災事故ですかね!。除染作業も一向に進んでない、計画は話ばかり、政府・東電はこのままにしておくのではないか?
そして、時が少しずつ忘れさせるのでは・・・?本当に誠意がなく、不安不安ですよ。」 この言葉を聞いて、ぐさりと心に響くものが駆け巡り、悲しくなると同時に、いろんなことを考えさせられました。
写真を見ての通り、おじいさん・おばあさんばかりですよ!何となく活気がなく寂しそうです。原発爆発人災事故にが無ければ・浪江町の自分の家で、息子さん・娘さん・お孫さん達と、当たり前の楽しい普通の生活をしていたと思います。「くやしいね!、原発発電所建設に賛成したわけでもないのに!俺の人生無くなった、家族皆ばらばら、悔しいね!ご先祖様に何と言えばいいのか!?悔しいね!」と、私より5歳ほど年の方がスイカを食べながら・・・
桑折を後に、次回伺う「森合町仮設住宅」を事前確認するために、福島市へ向かいました。
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