㉑自己実現と自己満足
なぜ人は働くのか?働かなくてはならないのか?このことに関しては多くの人がいろんなところで論じている。他の識者がどう述べているかをみてみたい。
武田晴人は『仕事と日本人』(ちくま新書)の中で次のように書いている。「人は仕事を通じて多くの人たちと出会い、協力し合い、あるいは競うことで社会的存在としての自分を見出していきます。労働は社会的存在としての人間にとって、極めて重要な絆をもたらす意味を持っているはずです」と。つまり働くことは他者との絆の構築だと述べている。この意見には私も賛成だ。
働く目的を「自己実現のため」と答える人がいる。実際にそう書いてある本もある。確かに、とも思う。マズローの欲求仮説に従うと確かにそう言える。食べる・寝るなどの生理的欲求が満たされると人は安全欲求を抱き、その安全欲求が満たされると、今度は集団に属したり、仲間が欲しくなるという社会的欲求が生じ、その社会的欲求が満たされると、今度は他者から認められたいという尊厳欲求が生まれるというものである。そして、その尊厳欲求が満たされると、今度は自分の能力を生かし、創造的な仕事をしたい、自分らしさの溢れる仕事をしたいという欲求が生まれてくるというもの。マズローによれば人間の最高位の欲求が自己実現欲求であることになる。これに関しても私は同感だ。
仕事していく上で、自分らしさに溢れ、自分しかできない仕事をしたいと誰しも思う。そんな仕事ができたら最高に幸せだ。確かに自己実現という言葉は魅力に溢れているが、しかしここで間違ってはいけないのは「自己満足」との違いである。多くの人は自己実現ではなく、自己満足になってしまっているのではないか。私も若い時に勘違いをしていたところがある。しかし、「自分のやりたいことができた」だけでは、結局は自己満足に過ぎないのではないか、とあるとき気付いた。自己満足で終わらないためには、友人や仲間や社会の理解や評価がなくてはならない。他者の評価を得られないものには意味がないように思う。それでは単に快楽を得たことに過ぎない。自己満足。若い時にはそれでいいのかもしえないが・・・。中沢孝夫によれば「自己実現とは多くの人との共通する価値観の中でこそ成立するもの」とななる。その共通した価値観を手に入れるには、会社とか、社会とか、地域といった共同体への参加が不可欠。「人間はその自分が属する共同体の中でのみ、自分を成長させ、自己を発信させることができる」となる。だから仲間内、それも親しい極数人の仲間の中だけで認められるものなら自己満足の域を出ない。より多くの人の価値観の中で自分の価値を認められることを目指すべきである。(こんなことに気付くのは後年になってからなのだが)
大学時代は社会に出る準備期間。特にゼミの3年生・4年生の期間は直近の準備期間だろう。ゼミもひとつの共同体。そのゼミ活動を通じてゼミ仲間と切磋琢磨し、社会を意識した中で自分を磨くべき時だと思う。個人的なことを言うと(あくまでも私個人の考えだが)、グループ作業が大事だと思っている。独りで作業をするのではなく、ゼミ仲間とああだ、こうだと、論じ合いながら作業を進めていくグループ作業のゼミがいいと私は思っている。グループの中での行動を経て自己実現を求めるのがいいと思う。くれぐれも自分の世界に閉じこもっていてはいけない。だからゼミ活動は、グループ作業のゼミがいいというのが私の持論である。