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⑰「働く」は「人」のために「動く」

 「働く」と言う文字は、「人」遍に「動く」と書く。人のために動くことが働くということ。無人島に独りで住んでいて、自分の夕食のために魚を獲っても働いたとは言わない。仙人が山奥深く住んでいて、自分の昼食のために木の実を取っても働いたとは言わない。自給自足生活では仕事は発生しない。働くという概念さえも当てはまらない。他者のために動いて他者の役に立ってこそ「労働」である。
 日本国憲法には国民の三大義務について記している。教育の義務、納税の義務、そして勤労の義務。日本国民はすべからく働くことが憲法で決められている。そんな憲法はおそらく世界でも類をみないだろう。先に⑮で述べたように、西洋では働く行為は罰則なので、憲法で労働が義務付けられることはない。一方の東洋では、⑯で述べたように、働くことは神からまかされた行為なので神聖な行為である。だから憲法で義務化されても誰も文句は言わない。また「勤労感謝の日」が設けられることも同様に自然なことなのだ。働くとは、誰かのために動くことであり、社会のために役立つことをするということ。だから教育を終えたら私たちは全員働くのが当然と思う。日本人なら誰しも。
 私は女性も働くべきだと考える。大学を出て、家事手伝いをして、結婚をする人がかっては多くいたが私は好まない。反対はしないが、家族のためだけではなく、社会のために働く経験をするのも大事なことだから。
 社会に出ると楽しいことも多いが、辛いこともたくさんある。すべてが楽しいことではない。しかし、辛いことの後に経験する楽しいことは、何倍にも楽しく感じる。ダラダラとした日々を送っていても感激はない。大いに悩み、大いに苦しみ、大いに喜ぶ、そんな起伏が激しいほど濃厚な人生になるといえるのではないだろうか。
 出産と同時に仕事を辞めて家庭に入る女性は多いが、子育てを終えると再び働き始めたりする。そして再び働き始めた女性は必ずハツラツとする。それは子育てから解放された喜びからではなく、社会と再び関わりが持てたことで嬉々とし出すのだと思う。他者と関わりが持てた喜びであったり、社会に貢献している喜びであったり、誰かの役に立っている喜びであったりする。またこれまでできなかったことができるようになる喜びであったりする。
 シニア層には社会との関わりが無くなることで急に老け込む人も多い。お金よりも、人や社会と触れ合えていることlこそが若さを保つ秘訣であり、喜びでもある。社会と断絶されたところに喜びは少ないのではないか。無人島の生活者に喜びはあるのだろうか?仙人も同様で楽しいのだろうか?仙人にも無人島の生活者にも労働に当たるものはない。同時に喜びも楽しみもないように思う。一方、働くことは、自分が社会の一員であることを自覚でき、働くことで社会のために役立っていることを認識できると思う。労働には人を元気にさせる力があるように思う。

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