㉕新鮮な生き方に触れた一日
先日、BBQパーティに参加した。日本人ばかりの集まり。いろんな生き方の人に出会って、自分の生き方の狭さに一人で少し恥じ入った。
ナベさんはアメリカに来てもう40年近く。旅行会社の支店長まで務め、今は脱サラして自分で事業を立ち上げている。儲かることはなんでもチャレンジすると口にする実業家。だから1億円の儲けを出したといいながら、1億円の損失を出したとも軽く言う。サラリーマンのスケールではとても測りきれない度胸の持ち主であることが、言葉の端々から伺える。もう怖いものなしと見受ける。プライベートではシングルファーザーで25歳の息子を育てながら、23歳の娘の親でもある。男手だけで二人の子供を育てる苦労は想像に難くない。その一方でサーフィンも楽しみ、千葉の一宮に18歳の頃からサーフィンのためだけにアパートも借りているという。今も日本とアメリカをサーフィンのために行ったり来たり。更には娘よりも年若の彼女もいるらしく、しかも頻繁にその相手が替わるところがまた凄い。日本の50代はこうはいかない。仕事もプライベートも大いに謳歌だ。こんな豪放な男性は私の周りには今まで誰一人いなかった。
エンさんは日本の高校を卒業して、アメリカの大学に留学。卒業してそのままニューヨークの会社に就職。前にも書いたが、アメリカ国籍を持たない人間がアメリカの企業に就職するのは至難の業。エンさんにも光るものがあったのだろう。娘さんも大学を卒業する年齢になり、今は日本に帰ることを計画中。それもサーフィンがしたいために宮崎に住む予定という。生まれは三重。だけど帰国先は日南海岸だ。親のそばに住むというのが普通だが、エンさんにそんな気はない。所詮、同じ日本。国内ならどこでも違いがないという。私など、少しでも親の近くに住むのがいいと思ってしまう。例えば親が関西なら、神戸か大阪か、京都のいずれかには住むべきと考えてしまう。しかし、エンさんにとっては狭い日本だからどこも変わらないと言い放つ。50歳でニューヨークの会社を退職して宮崎に住むのはいいけれど、私など仕事があるのかと心配するが、エンさんはそんなことは考えない。何でもやるし、仕事がなければ働かないだけだと。日本人の多くのように、生きることは働くことだとは考えていない。働き蜂にように働いている日本人を涼しい顔で眺めている。
ヒラさんは駐在員。本社から帰国命令が出ても愛犬のために断り続けているという。愛犬は人間の年齢で言うと90歳ほど。いつ何時、何があっても不思議ではない。ヒラさんは帰国すればエリートの道を歩けるはずなのに、あるいは執行役員になれるかもしれないのに、愛犬を毎日、病院に連れて行かねばならないために帰国命令を断ってしまっている。結果的に出世に背を向けているかっこう。「日本の企業で執行役員になったとして、それが一体何なんだ?」というのだろう。確かにセッセと働いて、それで3000万円の給料をもらったとして、「だから何?」。それで幸せなのか?と詰問される感じがする。ヒラさんはこの日も愛犬のためにBBQパーティを早めに切り上げて家路を急ぐ。愛犬の介護のために病院に急ぐ。
タレントのぐっさんに似たマエさんも脱サラ組。ニューヨーク駐在の商社を辞めて自分で食品卸の会社を経営する。この人ほど、人付き合いの上手な人を私は知らない。仲間の輪を作り上げるのがうまく、そしていつも話題の中心にいる。それでいて、輪の中に入って来れない人を見つけるとうまく輪の中に導いていく。人柄の良さと話術と気配りが凄い。私も広告会社の中で営業力の高い人を何人か見てきたがちょっとレベルが違う。広告会社の営業マンのほうが賢さが見え隠れして、ちょっと相手を緊張させてしまうところがある。でもマエさんはそれさえもないから一段上手だ。美味しいものをチョイスする眼力は相当なもの。このBBQパーティに活魚の鯛を遠くまで出かけて探してくる行動力だ。親は奈良で大学の教授をしているそうだが、その親の老後も見据えながらニューヨークで実業家の道を歩く。「今の日本に居てもなあ」とも、「日本でビジネスしてもチマチマし過ぎ」とも、「もっと世界に目を向けないとこのままでは日本は沈没する」と言い放つ。
これらの人たちに共通するのは、日本という狭い枠の中で生きていないこと、仕事であくせくせずおおらかに生きていること、人生にとって一番大事なのは楽しく生きることだ、と考えていることだ。今回、出会った人たちは私の過去にない人ばかり。この歳になって、私の生き方に新鮮な風を吹き入れてくれた人たちだった。
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