㉖ニューヨークには幾つもの英語がある
どこかで書いた気がするが、ニューヨークには幾つもの英語がある。ニューヨークに住む人は様々な英語に囲まれて、日々生活している。
私には仲が良い友達が3人いる。3人とも海外からニューヨークに来ている人たちだ。
アダムはアフリカ・ニジェールの出身。190センチの長身に、エナメルの黒の靴に、ショッキングピンクのシャツと濃いめのスラックスをさり気なく着こなす。漆黒の肌にピンクはよく似合う。母国語がフランス語のため、強い訛りの英語を話す。「オーキーオーキー!」というから何が起きたのか?と思ったら、「OK」のことだと随分してから気がついた。英語で伝えきれないと感じたとき、突然、フランス語で話し始めるのは、イライラが最高潮に達している証拠。
恐らく彼は大富豪の息子だ。アフリカのニジェールからニューヨークに外遊に来るなんて、とんでもない大富豪に違いない。いつかニジェールの大邸宅に遊びに行こうとひそかに考えている。
オスカルはガテマラ出身の青年。最初、ガテマラってどこにあるのか知らなかった。南米?中米?北米でないことだけは確かだ。後で調べて中米だと知った。ニューヨークに来ない限り、ガテマラ人と知り合うことなんて一生なかったと思うと、ちょっと出会いが嬉しい。
オスカルの英語もまた凄まじい。スパニッシュ訛りの英語は、日本人に理解するのは酷だ。「デ」をやたら頻発する。「それで?」とツッコミを入れたくなる。最初、これもわからなかった。そのうち「The」のことだとわかってきた。ガテマラ人のオスカルは子音が続くと読むのが苦手のようだし、母音でも幾つも続くと苦労している「Does」も「Does't」も読めなくて頭を抱えるし、「wear」も発音に苦労している。
テスラは年齢不詳の30代半ばの女性。「Where are you come from?」。「トゥーキー」、「?」。「トゥーキー!」、「?」。「トゥーキー!!」、「トゥーキー!!!!」。終いには怒り出す。「どうしてあなたはトゥーキーと何度も言っているのにわからないのか!」と口を尖らす。「write it on!」と私は言う。書かれた単語を辞書で引いてようやくトルコ出身であることを理解した。私たち日本人は「トルコ」と理解している。だから「トゥーキー!」と聞いてもトルコのことだとは理解できない。
またあるとき、この子が「トゥウィキ」と叫んだ。私は「トルコにはウィキペディアに代わる新しいものでもあるのかな?」そんな理解だった。そう思いながら、「トゥウィキ」の解読作業を頭の中で繰り返していた。また叫ぶ。「トゥウィキ! エイゴー」。混乱する私の頭。「トゥウィキは英語だとでも言いたいのか?」。エイゴーが英語のことだとすると、彼女は英語という日本語を喋ったことになる・・・??ますます混乱する私の頭。彼女が「2週間前にニューヨークに来た」と言いたいのだとわかるまでに相当の時間を要した。「エイゴー」は「ago」のことなのだ。
アルファベットの読み方は世界統一ではない。日本は英米とほぼ同じ発音をする。しかし、ヨーロッパ諸国や中米・南米では私たちと同じとは限らない。
「a」はアルファベットで「エイ」と発音するためか、「at station」をエスラもアダムもオーロラも「エイト・ステーション」と発音する。駅が8つあるのか、と思ってはいけない。複数形ではない。
本当に彼らの英語には泣かされる。しかし,彼らからすると日本人の英語もわかりにくいのだろう。何しろ「thank you」を「サンキュー」つまり「sank you」と発音する人が大半だからだ。「th」の発音が出来ない。「light」と「write」の区別もできない。「R」も「L」もみんな「L」の発音になる。「work」も「walk」も同じに発音にしてしまう。前者の発音は「ワ」に近く、後者は「オ」に近い。「drag」と「drug」も「blanch」「
branch」「brunch」の違いもきちんと発音し分けられないし、「Can」と「Can't」だって彼らには違いが聞き取れないように思う。彼らからすると日本人の英語は奇妙で理解不能なのではないか。
英語と米語も発音が異なるものが少なくないし、オーストラリアの英語だって同じだ。「day」は典型例だろう。「two days」は「to dies」に聞こえる。「死ぬために??」ナンノコッチャ?
世界には国の数だけ英語がある。その国の母国語を基本に英語が出来上がっているからだ。いろんな国の訛りを取り入れながら英語は世界で肥大化していっている。
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