見出し画像

久慈・山根の「古きもの、新しきもの」

岩手県久慈市。
ここに来たのはたまたま運転免許合宿があったから。
ここで私ははじめて仮面の裏を覗くような体験をした。
仮面とは、地域が観光客に見せる仮の姿。

 運転免許合宿は2週間ある。とくに忙しいわけではない。だが勉強する気も起きない。合宿所に籠っているのはいやだった。
 とりあえず中心街に出た。中心街には駅や図書館や道の駅がある。久慈は北三陸の盟主的な存在で、岩手県の分庁舎もある。普通の観光客になりきるべく、いろいろまわってみる。
 街じゅう「あまちゃん」一色である。「あまちゃん」はかなり大ヒットした10年前の朝ドラである。ポスターもあまちゃんばかり、店のシャッターには「北限の海女」とかかれたはちまきをしたあまちゃんが描かれていた。毎日7時,12時,17時はあまちゃんのメロディーが市内全域で流れる。「あまちゃん」しか売りがないのか。観光客としての認識はこのくらいである。

 「あまちゃん」は久慈市がかぶっている仮面にすぎない。地域は観光客を呼び込もうとはするが、簡単に生活の場に近づかせようとはしないものだ。見知らぬ人が自分たちの生活の中まで土足で入ってきては困るからだ。一歩踏み込まないとその地域を知ることはできない。
 とにかく地域の誰かと話したい。そう思ってカフェを探した。久慈はカフェが多い。

 駅から少し離れた川の堤防の近く、少し低くなった場所にそれはあった。古びた二階建ての四角い建物。一階にうっすらと明かりが灯っているのが見える。こんなところにカフェがあるのを不思議に思い、入ってみることにした。中は改装されきれいだった。だけど、流行りのカフェのような、除菌消臭された感じのきれいさとは違う。レコードが流れ、昭和の雰囲気だ。
 中にいたのは意外にも若い店主だった。馬内広斗さん。久慈市出身で上京したこともあったが20歳でUターンして、カフェを開いたらしい。私のおすすめメニューは地元食材をつかった夏野菜のよくばりパスタ(期間限定)だ。歯ごたえのある厚切りの久慈市山根産茄子がおいしい。
 最初からカフェを開くつもりはなかったそう。久慈に戻ってきて、人が繋がり、挑戦ができる場所を作りたいと思い、old new という団体を立ち上げた。昔から地域に愛されていた喫茶店「ユベントス」の名を受け継ぎ、地元の人が繋がり、新しい挑戦をできる場所として立て直した。カフェはその場所の使い方のひとつだという。ここはカフェであり、ギャラリーでもあり、レンタルスペースでもある。ただのカフェはどこにでもあるが、このような場所は貴重だ。久慈の可能性になる。実際に私もここでたくさんの人の繋がりができた。久慈の扉は外に開いている。

 久慈市は人口3.5万人の都市。北三陸の海のイメージが強いが、山も広い。久慈市の山エリアは山根や山形と呼ばれる地区だ。久慈が数字上は人口を維持しているのに対し、山根・山形では急速に過疎化・高齢化が進行している。山根では80代以上がほとんどとか。久慈市は何もしなくても変わり続ける。人口が減って、消滅する運命。変わらないために、むしろ、行動を起こさなければならない。何もしなくても人が集まってくる東京とは活性化の意味も必要性も違う。
 40代・50代が空白の久慈市山根でいま、20代が増えている。キーマンは久慈市出身の八屋尚樹さんだ。馬内さんの友達で、old new の構成員である。看護師の傍ら、山根にある実家の牛の世話をしている。
 そんな彼が描く、活性化した山根の姿とは「衣・食・住が自分たちの手によって作られる町」だ。山根は1960-70年代に最も活力があった。人口も多く、生活に必要な物資はほとんど町内で賄えた。今、山根の人々の暮らしは久慈に頼らねば成り立たない暮らしである。食べるものも着るものも、車で山を下りて買いに出る。このままでは久慈に依存しながら滅びてゆく運命も明白だ。
 八屋さんの目標は、山根でパン屋を開くこと。すなわち、第六次産業化であり、衣・食・住の「食」の一端である。そのため、パン屋をやっていないのにパン屋さんと呼ばれていたりする。第六次産業化の目的は、彼にとっては、利益よりも、生産者が消費者と直でつながることである。生産者がどういう思いで育てているのか、食べる人に伝わることが大事だ。それが伝われば食材はもっとおいしく、大事に感じられる気がする。
 ほかにも農園を動物と触れ合える場所にするという目標もある。幼少期に自然と遊んだ経験が、自然との親近感をはぐくむとの考えのもとだ。八屋さん自身、そんな経験が今の自分を作っているという。私も長野県松本市に住んでいた幼稚園生の二年間、両親にいろんな場所に連れていってもらった経験がある。山に行けば木や昆虫やタケノコが、川に行けばサワガニが遊び相手になってくれた。長い東京暮らしで虫は苦手になってしまったが、登山や狩猟が趣味になっているのはそういうところにルーツがあるのかもしれない。自然に親近感を持つ人が増えれば、農家を志す者も増えよう。現代では環境保護が人類存亡の文脈で叫ばれているが、自然と遊んだ経験があれば、自然と親しみと畏れを抱くはずである。人工的な自然を取り入れて慰みものにしている都市民にはわからない感覚かもしれない。
 脱線が長くなったが、とにかくそういうわけで、八屋さんは今は山根で牛や馬、豚、ヤギ、ニワトリ、蜂などを育てている。私にも牛のえさやりなどを体験させてくれた。服が牛の糞で汚れたが特に気にはならなかった。山根にいるとそういうものが許せるらしい。不思議だ。
 牛の世話をした後、八屋さんは木売内工房に連れて行ってくれた。建物の主は木村和也さんだ。1958年生まれ、66歳。だが、建物を一目見て、時代を先取りしたような人だと思った。山小屋風のきれいな木造建築で、清潔に管理されており、少しも古さを感じない。現代風のシンプルなつくりの中に、立派な琥珀色の梁が際立っている。私の作りたい建物の理想形のひとつだ。数十年前に、木村さん自身が設計して建てたというのだから驚きだ。
 木村さんが若いころの夢は大工になることだった。東京でサラリーマンとして3年働いたのち、岩手に戻ってきて一生の仕事として家具職人を志した。その仕事の関係で久慈にたどり着き、山根を知ったそうな。
 木村さんが作る家具も先進的だ。シンプルな直線的な木の家具。居心地がよくなるように丁寧に設計されて丁寧に作られた品物だ。ダイニングテーブルとチェアは、和室で使いやすいように低く、座面は広くつくられている。本質はいつの時代も変わらない。本質の表し方の違いによって流行はゆらぐのだ。木村さんは常に本質を見つめている。そして感性が未来を向いていた。だからこのようなものが作れたのだろうと思った。
 木村さんは昔から未来に目をむけていたそうだ。山根が今のような状況になることも予期していた。それを提言したことがあったが、当時はだれも聞く耳を持たなかったそうだ。
 木村さんに山根の未来がどうなるか聞いてみた。すると、君の時代はもう想像がつかない、けれど楽しみだといった答えが返ってきた。長く未来を見続けて生きてきた人が自分たちのような若者に期待してくれていることを素直にうれしく感じた。木村さんは持病のためか話すスピードが遅いが、ひとつひとつの言葉が沁みる。自分の好きなクラシックの曲を聴かせた時も、ひとこと、シンプルな「いいねぇ」が本心からの言葉であることを感じて、だれよりも響いた。
 木村さんにとって、山根は「桃源郷」。「なんにもないけど、なんでもある場所」。見渡せば山と川と空しかない。どこにでもある山村だと言えばそうかもしれない。だが、必要なものはこの山と川と空が与えてくれる。幸せもここにある。

 運転免許合宿が終わり、山根でひとりキャンプすることにした。場所は木売内工房で。道具は八屋さんが貸してくれた。木売内工房の裏には川が流れていて、昼には八屋さんの猟犬で甲斐犬のサンといっしょにそこで蕎麦を食べた。一生ここにいてもいいなと本気で思ってしまうくらい、満足した気持ちだった。山と川と空しかないのに。
 朝には地域おこし協力隊の新村樹さん・有希さんが経営する、「やまのね農場」で農作業をさせてもらった。畑の野菜は朝日を受けて輝いていた。馬内さんのユベントスで食べたパスタに入っていた茄子はじつはここの産物だ。そう考えるともっとおいしくいただけそうだ。畑は自然農法でやっている。手作業で草取りをした。雑草が生えるということは、それだけ土に栄養があるという証拠らしい。自然の力を信じているということだろうか。3年くらい前からこの農園はやっていて、獣害や豪雨、日当たりの悪さに悩まされつつ、試行錯誤をしている最中だ。
 山根の地域おこし協力隊はほかにひとり、絵のアーティストがいる。3人とも山根に移住するという稀有な人物であるだけあって、面白い。
 最終日は、九戸村の地域おこし協力隊のひとりが、キャンプに参戦してくれた。佐藤快威さん。彼は郷土食研究家だ。BBQのあと、ドングリを焙煎しながら、郷土食の研究がなぜ必要なのかを教えてくれた。快威さんと私は久慈でのイベントで一度会っていた。そこで私は郷土食を残す意義を問いかけた。古い郷土食は合理性を失ったために、食べられなくなったもの。合理性を失ったものは、もう郷土に根付いているとはいえない。そういったものを無理矢理残すことに意義はあるのか。記録するだけではだめなのか。
 その答えはこうだった。後世に選択肢を残したい。コンビニ弁当を食べている人はコンビニっぽい考え方をする。食べ物がその人の考え方に影響することはけっこうある。だから、郷土食は選択肢として後世に残す意味がある。そして、その方法は記録よりも人から人へ伝えたほうがいい。
 郷土食を伝承することはその食べ物を伝承することだけを意味しない。郷土食の本質はその食べ物自体だけではない。郷土食は、作物を育てる、あるいは採集する行為、そしてそこから郷土食に加工する行為、その「風景」とともに成り立ってきた。郷土食の伝承は、その「風景」の伝承も意味する。ここからは私の推測に過ぎないのだが、そうした「風景」も、そこで育つ人の考え方、生き方に影響すると思う。たぶん、地域の自然の恵みを受けて作られた郷土食を食べて生きる人は、地域にもっと特別な感情をもつ。

 最終日のBBQで、八屋さんに質問されて、山根は秘境で、不思議なところだと私は言った。間違っていないが、今だったら「古きものから新しきものが芽吹いている場所」だと答えるだろう。山根では、古くからの文化・風土の匂いを濃く感じる。それは山根の自然の厳しさゆえ、人間がそれを克服できないゆえだろう。山根では自然と付き合っていかないと生きていけない。山根は、人も、人の生活の仕方も古い。たぶん人の考え方も古い。だがその古きものの中から、新しきものが芽吹いている。八屋さんのパン屋さんや、3人の若い地域おこし協力隊の活動はまさにそう。これがもっと大きくなれば、きっと山根は生き残るだろう。そして、田舎から都会へ文化が逆流する現象が起きる。本質はいつの時代も変わらない。次はどんな時代が来るのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!