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東京大学 理科一類 まちづくり・人の暮らしに興味があります。趣味は登山、歩きのプロ。

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「生きるために生きる」とはなにか

 山の魅力とはなんだろう。山の魅力とは、筆舌に尽くしがたいほど多様であり、かつ深いものである。山の魅力は多くの方法で説明される。山の魅力とは、感性を働かせること・予測不可能性の連続・現実逃避・日常との対比・・・であると。しかし結果として、山にハマる者とハマらない者の二種類が存在する。  山という環境は、長くいるとだんだんと日常へと変化していく。山の新鮮な魅力は色褪せていく。その変化に適応した者が山にハマる部類なのだ、と私は考えている。(高い山を目指したり、百名山を制覇したり、

    • モンゴルの「自然」

      物心ついて初の海外、モンゴルに行ってきました。 私たちが向かったのは、ハラホリン(カラコルム)南方のオルホン渓谷のだだっ広い草原。草原の中のゲルに泊まって、遊牧民的な生活を体験した。  東京での日常と違いすぎる環境で生活したというのに、不思議と驚く経験が少なかった。新しく知ることは多かったはずなのに、心動かされるものはなかった。自分は何をしていたんだろう。それがこの旅行記を書くことを躊躇させたのだが、実はそこに大事なところがあるのではと思いなおし、書いてみることにする。

      • 久慈・山根の「古きもの、新しきもの」

        岩手県久慈市。 ここに来たのはたまたま運転免許合宿があったから。 ここで私ははじめて仮面の裏を覗くような体験をした。 仮面とは、地域が観光客に見せる仮の姿。  運転免許合宿は2週間ある。とくに忙しいわけではない。だが勉強する気も起きない。合宿所に籠っているのはいやだった。  とりあえず中心街に出た。中心街には駅や図書館や道の駅がある。久慈は北三陸の盟主的な存在で、岩手県の分庁舎もある。普通の観光客になりきるべく、いろいろまわってみる。  街じゅう「あまちゃん」一色である。「

        • 北杜の「風土」

          野山にしみいるミンミンミン。たまに聞こえるブぃーン。 そのなかで一つだけ自分の足音がトコトコ。  山梨県北杜市。私はこの地を歩くのが好きだ。だからよく歩きにいく。ただ歩きにいく。なぜって?ここにはいろんな魅力があるから。そう、ここにあるのは「風土」だ!  北杜市は、世界に誇る「水の山」南アルプスに抱かれた地域。南アルプスは北杜のシンボルだ。私も初めて中央本線に乗って北杜に行ったときは、ひと駅ごとに大きくなっていく南アルプスの峰々に魅入られたものだった。しかしあのときは壮絶な

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        「生きるために生きる」とはなにか

          カオスを愛せよ、カオスに生きる

          意図の外にある可能性を秘めたカオスを、もっとまちに取り入れよう! 私は東京に住む大学生である。そんな大学生の日常はこうである。  寝るためだけにつくられたベッドから起きる。  部屋を照らすためだけにつくられた照明をつける。  …  移動するためだけにつくられた電車に乗る。  講義を受けるためだけにつくられた教室で講義を受ける。  食欲を満たすためだけにつくられた学食で食事をする。  運動するためだけにつくられたジムで運動する。 なんと整然としたことか。目的ひとつひとつにつけ

          カオスを愛せよ、カオスに生きる

          活性化とは。答えはどこに?

           まちづくり界隈では、とにかく活性化が称讃されている。まちづくり = 活性化 = にぎわい創出 といっても過言ではないくらい、当たり前になっている。だが、活性化って本当に必要なんだろうか。「活性化」によって実際に住んでいる人は幸せになっているのか。行政、あるいは、まちづくりerたちの自己満足になっていないか。  人口が減っていく今、地域を存続させていくためには、なにか変化が必要なのは確かだ。ただ、「活性化」みたいな曖昧な言葉を使って事を進めようとするのはなんか違う。本当に必要

          活性化とは。答えはどこに?

          まちづくり妄想

          私が思う自由なまち 〈基本理念〉  第一に考えるべきは市民の幸せ。それを大きく左右するのが人と人の繋がりだと思う。人同士の関係が疎遠にならない、誰でも居場所が自然とたくさんできるまちを作りたい。そして、ひとりひとりが文化の発信点となり、交流によってシナジーが生まれ、文化が花開く。 〈長い説明文のようやく〉  生活の中心になる広い生活用歩道を中心としたまちをつくる。その生活道路のわきにめちゃくちゃ自由な広場をつくる。そうするとなんやかんやあって文化が生まれる。 〈長い説明文〉

          まちづくり妄想

          将来やりたいこと(社会貢献)

          この記事は、2024年6月時点での思想を反映しており、現在とは考えが異なる可能性があります。 抽象的なやりたいことを書くページです。 やりたいこと大テーマ 市民の幸福を最終目的としたまちづくり やりたいこと中テーマ 地方から、まちづくりで、日本人の「暮らし」を変える。 やりたいこと小テーマ5 ・人と人をつなげる都市を設計する。 ・真の地方文化をつくる。 ・「徒歩」を文化にする。 ・寛容な都市をつくる。 ・地方に仕事をつくる。 大テーマについて  まず、世の中のあらゆる

          将来やりたいこと(社会貢献)

          旅と観光(後編)

          後編では、主に観光はどうあるべきかについて述べる。 見所主義は現代にしか存在しないのか  見所は江戸時代にもあった。しかし見所主義と言えるほどのものはなかったのではないか。例えばお伊勢参りは、伊勢という見所を目指しているようで、その実態は情報収集だった。江戸時代の交通手段は徒歩だったので、道中で色々な人と出会うことができたのだ。伊勢に参る者は、帰ったときに見聞きしたものを共有する役割を担った。 山にならう  山は山頂の大展望という見所はあるが、大展望のない山も登るのは楽し

          旅と観光(後編)

          旅と観光(前編)

           突然だが、旅行というものは意味のあるものだろうか。私はつまらないと思う。皆さんもあるのではないだろうか?「ガイドブックに載っていたから来てみたけれどこんな大仏を見ることになんの意味があるのか」と思ったことが。私たちがこのような意味のない旅行をしてしまうそのわけは、私が「見所主義(みどころしゅぎ)」と呼んでいる歪んだ観光のあり方にある。本稿前編では、現代の観光を批判する。後編では解決策をいくつか述べようと思う。 「見所主義」とは何か 先に定義を述べておきたい。見所主義とは、

          旅と観光(前編)

          幸せ・生きる意味とは何か。そして、人生で何を成し遂げるべきか。

           歴史を学ぶと、違う価値観に出会ったことが誰しもあるだろう。または別世界から来たような人に会って衝撃を受けることもあるだろう。例えば、切腹する武士のことを知ったとき。戦争で玉砕する兵士のことを知ったとき。なんでそんなことしたんだろう?その理由(そこに存在する前提・価値観)を理解したとき、私たちは自分が持っていた価値観が崩れ去るのを感じる。それは知的好奇心をくすぐる大きな喜びであるとともに、私たちに迷いを生じさせる。本稿では、そのような迷いから発展する、「幸せ・生きる意味とは何

          幸せ・生きる意味とは何か。そして、人生で何を成し遂げるべきか。