幸せ・生きる意味とは何か。そして、人生で何を成し遂げるべきか。

 歴史を学ぶと、違う価値観に出会ったことが誰しもあるだろう。または別世界から来たような人に会って衝撃を受けることもあるだろう。例えば、切腹する武士のことを知ったとき。戦争で玉砕する兵士のことを知ったとき。なんでそんなことしたんだろう?その理由(そこに存在する前提・価値観)を理解したとき、私たちは自分が持っていた価値観が崩れ去るのを感じる。それは知的好奇心をくすぐる大きな喜びであるとともに、私たちに迷いを生じさせる。本稿では、そのような迷いから発展する、「幸せ・生きる意味とは何か。そして、人生で何を成し遂げるべきか。」という人生をかけた問題に対処する私なりの方法をシェアしたいと思う。なお私は一介の大学一年生にすぎず、専門家ではないので参考までにとどめておくことをお勧めする。
 まず、なぜ価値観が崩されることが人生をかけた問題に発展するのかわからない人もいるかもしれない。実は、この世界には元来的な善悪などまったく存在しないのだ。例えば、「人を殺してはいけない」という命題は、古今東西でだいたい共通しているようだが、この世界が誕生したときに決まったものでもなく、便宜的に正しいとしているにすぎない。従って、私たちが当たり前と思っている価値観は全て、当たり前/自明ではない。その中には生きる意味を定義する価値観が存在する。だから、それらが自明ではないと気づいたとき、私たちは生きる意味を失ったように感じるのである。
 そう気づいたとき、さて、はたして0ベースから生きる意味とはなにか、自分は人生で何を成し遂げるべきなのか論理的に説明できるだろうか。否。人生に正解はないのである。こういう実験をしてみてほしい。あなたは「〇〇をするべきだ」という命題を持っているはずだ。それを想像してほしい。何もないなら「生きるべきだ」という命題を想像してほしい。「〇〇をするべきだ」の理由の理由の理由… をさかのぼっていくと、そこには何もないのではないだろうか。究極的には、自分が幸せになったところで何になるんだということになる。またはその手前で詰まってしまうかもしれない。

 この問題に向き合うためには2つの方法がある。虚構と本能だ。この二つだけが人間の行動に方向性を与える(すなわち人間を導く)。
①虚構
 虚構とは、人間の作り出したストーリーのことだ。唯一神や「高い家や車を買うことが幸せである」とか「国のために尽くすことが生きる意味である」などの命題に相当する。これは自らが生きる意味を与えてくれ、0ベースが1ベースになる。「『〇〇をするべきだ』の理由の理由の理由…」を遡った先はすべて、神やそういう命題に行きつくということだ。虚構は中身がないから価値のないものと思われるかもしれないが、そうではない。証明ができないから信ずるに足らないということでもない。虚構をつくることはホモ・サピエンスの特別な能力であり、心から信ずれば本当に救われるかもしれないのだ。

②本能
 こちらのほうが無宗教者には受け入れやすいかもしれない。本能は理性とよく対比される。先ほど「論理的に説明できるだろうか」と書いたのは、「理性で説明できるだろうか」ということだ。実験でお察しいただいた通り、理性は人間の行動の方向性を強めたり弱めたりすることはできるが、方向性を与えてくれるものではない。(さしずめ理性はスカラー量であり、本能と虚構はベクトル量だ)。では、本能を用いてどのように生きるを定義するか。ただ感情に従えばいい。といっても刹那的に生きるということではない。今と未来を天秤にかけて、理性で選び取るのだ。感情は定量化できないので難しいが、そこはうまくやるしかない。極端な例だと、拷問をうけるのと美味しいものを食べるのとを比べて、悩む余地はない。そんな感じで答えを選ぶことはできるだろう。なかには優劣をつけられない選択肢も出てくるだろう。だが、先に述べた通り人生に正解はないのだから、ちょっと間違えたところで何の支障もないのだ。このようにうまく論理を曲解することが重要だ。また、感情の感じ方はひとそれぞれで違うので、ここでこれ以上答えを述べることはできない。

 実はこの「虚構」と「本能」は協力関係にある。正しい行いをしなければ来世で痛い目に合うという虚構は、感情を利用している。感情に従うという考え方も、「幸福感を覚えることが幸福である」という虚構に支えられている。

 おわかりいただけただろうか。本稿が皆さんの助けになったなら幸いである。結局俺がやっていることが結論になってるじゃないかと思う人もいるかもしれない。だが一周回って同じ結論に至ることは意味のあることだと私は思っている。

 ここで、生きる意味について考えることには意味がないという言説について持論を述べておきたい。確かに、生きる意味なんかを考えるのって、よっぽど考えるのが好きな人でなければ精神的に不健康な証拠だろうし、考えても完璧に証明された答えは出ないし、疲れるだけだと思うかもしれない。だが、まったく考えたことがないと世の中で流布している虚構に流されて生きることになってしまう。なので一度だけ考えて、自分がどんな虚構や本能に従って生きていくのかだけを覚えておくといいと思う。いわば思考のワクチンである。考えるのは苦しいが、変な宗教に入信せずにすむ。

 「虚構」という言葉は「サピエンス全史」という本を参考にした。歴史によって生み出された迷いが歴史学によって回収されるというのは、とても興味深い現象ではなかろうか。ただ、もし間違ったことを言っていたとしても、多分私の解釈違いなので本を責めないでほしい。この本は知的好奇心をくすぐる最高の本だ!

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