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交差点を俯瞰する

先日昼食後に一服しようと、少し大きめの交差点に面したSというカフェのチェーン店に入った。その2階にある喫煙ルームも一部外部に面していて、ちょうど交差点を俯瞰する席についた。少し苦めの深煎りコーヒーをすすりつつ、煙草に火をつけぼんやりと窓の外を眺めていた。

人にしても車にしても、信号が変わる度にそれまでとは違う方向への流れが生まれる。その光景を見ていてふと、その心地良さに思い至った。交差点を上方から見ている自分が何故かワクワクする感じ。ずーっと、ぼーっと眺めていても全く飽きない流れ。

横断歩道を渡る人々の表情、髪型、服装、歩き方、行き交う車の車種、業務用営業車のメーカー名、路線バスやタクシーとその中の乗客の様子、トラックが運んでいる建築資材らしきモノ、Babyを抱えた夫婦、ゆっくりと渡っていくお婆さん、ふざけながら駆けていく小学生男子達、etc…。

2階からの距離感もあるだろうけれど、細かく見ていけばいく程、その流れゆく情報量の多さに自分の中の何かが活性化されるようでもあり、あらためてその視点って何だろうと、ぼんやりと考えていた。

これは渋谷のハチ公前交差点で動画を撮ろうと構えている外国人のような視点なのか、と一瞬思ったけれどちょっと違う。あれはスクランブル交差点という独自な空間の持つ流れと、何よりも圧倒的な人の量と、短い時間における人の動きが、彼らを惹きつけているのではないか。

そうではない、ごく普通の何でもない交差点を行き交う流れから、ちょっと大げさに言うならば、都市空間の静かに脈打つ脈動を見るかのような、そしてそこに人々の生活の断片が絶え間なく流れている動きを楽しむかのような。それが「ワクワクする感じ」なのかなと。

そこでふと思い出したのが、米国の作家ポール・オースター脚本の『Smoke』という映画の中の一場面。ブルックリンのとある交差点で雑貨店を営むオーギーが、カクカクシガジカの流れ(この流れも面白いのだがそれは割愛)から手にしたカメラで、店の前の交差点に向けて毎朝8時に定点撮影をしていた。

オーギーはそれを日常のアートとして、ライフワークとして何年も撮り続けていることに、話を聞きに来た主人公が感銘を受けるというシーン。定点撮影した4千枚の写真の貼られたアルバムを見ながら、最初は似たような写真ばかりで飽きてしまいさっさとページをめくってしまう彼に対し、「もっとゆっくり、じっくり見ろよ」と促すオーギー。よく見ていくと同じ様な写真の中に、その日その日の条件によってすべて違う被写体と、そこに写された圧倒的な人生までもが浮かび上がってくる。

それが世界の有り様であり、些細な日々の集積が人生を形成するという命題・テーマは、全く持ってポール・オースターらしい視点といえる。奇しくもその視点に近いモノが、Sカフェの2階から交差点を眺めていた時にあったが故に、ワクワクしたんだろうなと。

まぁ、一本の煙草、そして一杯のコーヒーを飲み終わるまでに感じて考えたこととは、この程度の話。そうか、Smokeというつながりもあったな。

そのシーン↓

https://www.youtube.com/embed/cdSqCQ8A3TY

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