飢餓の村で考えたこと 22.23
理念では解決できない
当時私を派遣したNGOの理念とは私の理解では「まず我々は貧しい人たちには自らの問題を解決していく力が備わっていると信じていた。そう信じる確かな根拠はないのだが。潜在力として隠れていると推測するその能力を彼らが発揮できるように協力・支援するのがこのNGOの役割だ。」このようにそのNGOの理念を私は理解し活動していた。
ある時村を回っていると、いかにも栄養失調の赤ちゃんがいた。その赤ちゃんの顔にはハエが集っていた。よく見ると瞼にもハエが乗っているのだが、赤ちゃんには瞼を動かしてハエを追い払う反応力は残されていなかった。それを見てこの痩せこけた赤ちゃんはもうすぐ亡くなるなと確信したが、私はこの赤ちゃんに特に何もしないままだった。
この時のことは今でもよく思い出す。当時その赤ちゃんを生かす方法が私には本当になかったのかと今でも自問自答している。それから数十年後、福岡の美術館でマザーテレサ展が行われた。
その一つの写真の説明書きには「マザーテレサは差し出された子供の受け取りを断ったことはない。」と書いてあった。この文章を読んで私とマザーテレサの決定的な違いを思い知ったのだった。
「ショミティ」を覚えて
読者のみなさんにお願いがある。この本は能動的に読んでほしい。だから少しの努力をお願いしたい。生意気言ってすみません。皆さんへのお願いはベンガル語を一つだけ覚えてほしいのだ。なぜか。これから書こうとするNGO活動のキーワードだと私は思っているからだ。
それは「ショミティ」という言葉だ。「ショミティ」とは「グループ」のことを現す。なぜこの言葉が重要なのか。独立前の村社会の仕組みでは村の有力者が貧しい人たちを縦割りで支配していた。貧しい人たち同士が横につながらないようにして村の仕組みを保っていた。
しかしこの貧しさのままでは、貧しい人たちが窮地に追い込まれることは明白だった。そこで多くのNGOは伝統的な社会にはなかった貧しい人たち同士の横のつながりを作ることでこの貧困という窮地を脱出させようと考えた。具体的な方法としては貧しい人たちを対象とした「ショミティ(グループ)」作りだ。
このショミティづくりは旧来の村の仕組みにはないものだった。この頃からバングラの多くのNGOは貧しい人たちの相互扶助組織としてのこのショミティ作りの試みを始めることになった。これよりベンガル語ではあるがグループを意味する時は「ショミティ」と表記させてもらうことにする。