飢餓の村で考えたこと 16・17

カメラ禁止

私が赴任する時には日本人駐在員はカメラをポイラ村には持ちこまないことが決められていた。当時村人にとっての写真とは家に飾って家宝とするような希少なものだった。日本人が気楽に写真を撮ることによって村人は写真を貰えるものと理解してトラブルも起っていた。それで日本人はポイラ村にカメラを持ち込まないことになっていたのだ。

だから私のポイラ村での駐在時代の写真は1枚もない。カメラという記録媒体がないので私は一つ一つのポイラ村の体験を心のネガに焼き付けるように努力した。だから40数年経った現在でも、心のネガを映像化することができるのではないかと思う。

飢える人々の二面性

ポイラ村のことを究極の貧しさというと読者の皆さんは村の人たちが暗い顔をして沈んで生活していると想像するにちがいない。実はバングラに行くまでは私もそう思っていた。

ポイラ村で生活してみると確かに皆お腹を空かせている現実はあるのだが、大部分の日常生活ではその現実は感じられない。年に何回かその現実に直面することを除いては。

村人はいきいきとした村の生活をしていた。特に子供たちは無邪気で元気。私はポイラ村に来て初めて子供が好きになった。それまではなんとなく独身の私にとっては子供は疎遠な存在だった。

村の生活の中で貧しいことを心の底から悲しいなと、その不条理さを実感することは年に何回しかなかった。私自身は若干の栄養失調はあったが食事はきちんとしていた。だから本当の村人の空腹の苦しみに対する理解は、村にいたにもかかわらず浅かったと言える。

村人と同じような空腹を味あわない限り、その理解には近づけないような気がした。もし空腹を味わったとしても、次に食事ができる保障もなく数日間の空腹に耐える子供がどんなに苦しいかを理解することは私には不可能だった。その村で生活しているにも関わらずだ。この苦しさはそんな空腹の体験をした人でなければ、理解できないことだと私は想像している。


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