飢餓の村で考えたこと 37.38
貧困の悪循環
私がポイラ村にいた頃(1976~77)はどの家庭も子供が大勢いた。どこに行っても湧き出てくるように小さな子供たちが大勢出てくる。ポイラ村は「貧しさの悪循環」の典型のような村だったと言える。
貧しいために子供がよく死ぬ。だから将来の子孫を残すためや親の面倒を看てくれる子供を残すために無計画に子供をたくさんつくる。親は学校に行ってないので将来の家族計画を考えておらず、子供が増えていく。
子供が増えるとますます貧困に陥る。貧困だから子供を学校にやることができない。学校に行ってないから貧困を克服するやり方は分からない。この循環が次世代にも続いていく。これを貧困の悪循環という。
最貧国でのNGOの活動とは、この悪循環の環をどこかの段階で断ち切るための活動と言ってもいい。しかし子供が大勢いるということ自体はとっても楽しいことだ。私たち日本人駐在員が村を歩いていると各集落の子供たちがぞろぞろ出てきて、背の高い順にきれいに整列して大声で声を合わせて私たちに「アダップ」(こんにちは)と異教徒に対するあいさつをする。子供はその社会の活力ともいえる存在だ。
村人の年齢
私たちは成人男性のための夜間学校を作ろうと試みた。しかしこれは結果的には失敗してなくなった活動だった。
夜間学校を始める時、参加者名簿をつくるために各自に名前と年齢を言ってもらった。皆もちろん名前は言えるのだが、年齢は自分でも分からずそこにいたほかの仲間に「俺何歳くらいかな」と尋ねるしまつだ。参加者たちが勝手に「そうだなお前は17歳かな」という。「そしたら俺は17歳」というので名簿の年齢が記入されていった。
だから彼らの年齢は聞く度に多くなったり少なくなったりする人ばかりだ。両親が教育を受けていて生まれた日を記録してもらっている人は少なかった。
ベンガル人の見かけ年齢を判断するのは日本人には難しい。実年齢より老けて見えるようだ。日頃の栄養不足と日差しの強さが原因ではないかと思う。まだ20代でも40~50代に見えることがよくある。
本格的にNGOの活動評価をするための調査などではできるだけ正確な年齢が求められる。そんな場合は一人一人に時間をかけたインタビュー形式を用いる。
当人に小さい時に起きた事件を思い出してもらって、その事件の歴史年代からより正確な年齢を推測するという方法だ。このような調査は時間的にも資金的にも余裕がないと行えないし、そのような調べ方自体も私たちは当時知らなかった。
大多数の貧しい人たちは自分の年齢は知らなかったから、通常の村の生活では自分の年齢を知らないことによる実害はほぼなかったと言っていい。その後学校教育が普及しだすと入学年齢などの問題が出てくるがそれもそんなに厳密ではないので、大きな障害にはなっていない。