いとバイ通信8 ストリートチルドレン

いとバイ通信8 ストリートチルドレン

2020.5.2(土)

苦い思い出

私にはストリートチルドレンに対する苦い2つの思い出があります。1990年代私はバングラデシュで活動するNGOの東京スタッフでした。日本の人たちに活動の現場を体験してもらうことが大切だと考えスタディツアーの企画をしていました。私は駐在員の経験があることや初歩的なベンガル語が分かることからツアーの案内役をすることがよくありました。同行したツアーで現地NGOの施設を見学することになりました。そのNGOとはまだパートナーとなる前だったのでストリートチルドレンについてよく理解しないままツアー参加者を案内してしまいました。

施設に入る前に言った言葉

私が駐在員時代を思い出して貧しくて親の保護も受けてない子供たちだったらいろんなことが起こりえるなと考えました。私はその施設に入る前に10人位のツアー参加者に何度も手荷物はしっかり持って子供たちにとられないようにしてくださいとアナウンスしてしまいました。ところがどうでしょう。施設に入ると50人位の子供たちとスタッフの人たちが私たちを大歓迎してくれたのです。彼らは私たちのために歌を合唱してくれました。一人の日本人の両手に4人位の子供たちが手を握って放しませんでした。子供たちがつないだ手から愛情に飢えていることが伝わってきました。女性のツアー参加者には女の子たちが自分の宝物である飾りものや化粧品を見せていました。男の子たちは自分が路上で稼いだお金で外で飴玉を買ってきて私たちにくれました。私はこの施設に入る前に言った自分の見当違いな注意喚起を思い出し穴があったら入りたい気分でした。この失敗を思い出すたびに自分の無知に恥ずかしくなります。

赤ちゃんを差し出された

ツアーの案内役をしてオールドダッカの船着き場へ行った時のことです。次の見学先に急ごうと皆をワゴンに乗せて出発しようとした時でした。粗末な布を身にまとった小学6年位の美しい女の子が最後に車に乗り込もうとしていた私にきれいな小さな赤ちゃんを私に差し出しました。彼女はこの子を持って行ってという風でした。私は駐在員時代赤ちゃんを持って行ってくれと村のお母さんやお父さんから言われた経験はありますが少女から赤ちゃんを差し出された経験はありませんでした。私は動揺しどうしたらいいかわからなくなりました。次のところに行かなければいけないからと彼女から逃げるように車に乗って出発してしまったのでした。

路上生活の子供たち

その後現地NGOとパートナッシップの関係となりこれまで知らなかったストリートチルドレンのことが少しずつ分かってきました。そしてなぜあの時彼女から逃げてしまったのか、あの時自分はどうすればよかったのかと何回も考えました。スタディツアーとはその国の状況を勉強する目的だったはずです。本当の勉強の機会がその時だったのに私は彼女から逃げてしまったのだと思います。それではどうすればよかったのでしょうか。私は彼女と赤ちゃんを車に乗せて私たちのNGOの事務所に行き、彼女からしっかり事情を聴くべきだったと思います。そしてNGO現地人スタッフと相談するべきだったのです。ツアー参加者はこれこそ生きた勉強になったはずなのです。

彼女はなぜ赤ちゃんを

その後ストリートチルドレンの状況が分かってきました。そこから想像すると彼女はもっと小さい時大きな深刻な家族の問題でダッカに出てきたと思います。彼女は美しかったし路上で生活していたから路上に寝ているとき警官や地域の大人などにレイプされた可能性があります。あるいは収入を得る方法として売春を行い妊娠してしまったかもしれません。また子供でもある彼女は赤ちゃんを持て余して外国人の私たちを見て赤ちゃんを渡そうとしたのではないかと想像します。マザーテレサは差し出された赤ちゃんの受け取りを断ったことはないと言います。私とマザーテレサのあまりにも大きな差に唖然とするばかりです。

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