飢餓の村で考えた(24)はじめた理由
はじめた理由
手工芸品のショミティ作りをはじめた理由は、貧しい人たちが収入を得られるような活動の導入を1日でも早く図りたかったからだ。
当時女性たちは自分の家の周辺数軒が集まった小さな集落以外に出歩くことはタブーとされており、女性自身が直接収入を得る方法は殆どなかった。女性たちはただ貧しさに耐えるしかなかったがその貧しさは耐え難いものだった。
その当時のバングラはどこも貧しく困窮した状況にあった。独立前からバングラ国内で活動していた欧米NGOはバングラのNGO活動でできた手工芸品を欧米に輸出販売をするルートを作っていた。欧米NGO自身には欧米国内で独自の販売網があった。
NGOが手工芸品製作の活動を始めた場合は技術指導者の育成などの支援体制も整備されつつあった。このような状況を踏まえポイラ村に女性の手工芸品製作のショミティを始めたのだ。
私たちのNGOは発足当初の「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」から名称を「シャプラニール=市民による海外協力の会」 と変更していた。