飢餓の村で考えた(27)コニカさん
コニカさん
会員の中で最も私の興味を引きつけたのがコニカさんだ。ご主人と小さな娘が一人いてコニカさんの年齢は推定16~20歳くらい。明るくて大きなとおる声をした人だ。
納品準備では製品を作った人の名前を書いた紙を一つ一つの製品に縫い付けなければならない。殆どの会員は自分では名前が書けないので字が書ける人に名前を書いてもらっていた。
コニカさんは自分が作ったマットに付ける名前のタグを自分で書こうとしていた。小さな黒板に手本を書いてもらってそれを見ながら何回も自分の名前を書く練習をした。「コニカ」という文字は三角形が2つある最も書きやすい文字だった。
しかし最初はその三角形がうまく三角形にならない。私はその三角形になってない文字を見ながらまさにコニカさんが生まれて初めて自分の名前を書いた瞬間に立ち会っていることを実感して感動した。
彼女は家に帰ってからも何回も名前を書く練習をしてきた。自分の名前を書けるようになったことがよほどうれしかったにちがいない。自分のマットの分だけでは飽き足らず、友達数人の名前も「私に書かせて」と言って書いてやっていた。
そんな彼女を見て私はもし日本で生まれていたなら勉強好きな好奇心あふれる女性になったに違いないと思った。コニカさんを見ていて生まれる国が違うことで、人の可能性は大きくなったり小さな限界内に制限されたりするんだなぁという思いが強く湧き上がった。
ショミティ会議でギオールの銀行に行く人を決めている時だった。彼女が大きな声で「私が行く」と明るく元気な声で立候補した。他の会員が「あなたギオール(隣町)には行ったことあるの」と聞くと「行ったことないよ。生まれて初めてだよ。」と大声で返事し、それを聞いて皆ドッと笑った。そして彼女はギオールにいくことになった。彼女の好奇心は解放されつつあった。