似ているもの、似て非なるもの | 前ぬ渡節/唄い継いでいく 3 | 東京から唄う八重山民謡
入門したてのころ、それまでほとんど音楽に興味を持っていなかったのに、突如として毎週末レッスンに通うどころか、「沖縄に行ってくる、三線買ってくる」と言い出した娘に、離れて暮らす母はだいぶ面食らったようだ。母はさして興味がないのに、よくもまあ電話のたびに唄三線の話を聞いてくれたものである。
そんな母がある日、「小説で見かけた三線の歌を聞いてみたいから、帰省するまでに練習しておいて」と、リクエストしてきた(精一杯、話に付き合ってくれたのだろう)。わたしは安請け合いしてしまった。初心者は怖いもの知らずである。工工四さえあれば、弾けるし唄えると調子に乗っていた。ものの数時間で、その鼻っ柱はへし折られたのだが。
リクエスト曲は「遊びションガネー」だった。沖縄民謡である。もっともそのころは、わたしも沖縄音楽の種類など知らなかった。ひとまず検索して工工四を見つけた。うん、これなら弾けそうだ。続いて動画を検索してみると、たくさんある。うん、これならマスターできそうだ。そして動画を再生して驚いた。歌持ち(前奏や後奏)が、八重山民謡の「前ぬ渡節」と同じだったのだ。歌詞は違うが節回しはどことなく似ていて、囃子はサーサーションガネースリションガネーと変わるけれど節回しはかなりそっくり。でも違う。
そこまできて、師匠のことばを思い出した。「琉球民謡や沖縄民謡には八重山民謡に似ている曲もあって、ほかのをやってしまうと八重山の節回しがわからなくなってしまうから、ほかはやらないほうがいい」。似ている加減が微妙だからこそ、たしかに混乱しそうである。
それでも母のリクエストだからと、禁を犯して動画を見つつ練習してみたのだが、節回しがまったく頭に入らない。生歌ではなくて動画だから、ということもあるのだが、師匠以外の唄声はいろいろなところが気になって、集中が削がれてしまう。これは、カルガモなどに見られる「刷り込み」のようなものかもしれない。親と認識した相手についてまわって、親の行動から学んでいくという、あれである。師匠の唄は頭に入るが(再現できるかはともかく)、ほかの人の唄声から学ぶのはハードルが高い。かといって禁じ手なのだから、師匠に唄っていただくわけにもいかない。
けっきょく降参して、母には「前ぬ渡節」を唄った。わたしにはあれこれ葛藤した末でのことだが、母にはなんのことやらわからなかっただろう。あれから6年経ったいまでは、師匠ではない唄者の音源を聞いて勉強することもあるが、師匠のことばがチラつくからだろうか、いまだに「遊びションガネー」を唄える気はしない。
「前ぬ渡節」と「遊びションガネー」は極端な例としても、八重山民謡が琉球・沖縄で取り入れられて少し節回しが変わったり、八重山のなかでも流派によって少しずつ違ったりして、「知っているものと似ているのだけれどちょっと違う」という唄には、しばしば出遭う。師匠はたまに、流派ごとの違いを唄いわけてみせるが、そんな芸当はよほど自分の唄に自信がない限りできないわけで、修行中の身で手を出すものではない。
ただ流派によって、歌詞がだいたい同じでも一部の単語が入れ替わっていたり、教本に載っている歌詞が違ったり、第1句と第2句が逆だったりということはよくある。第1句の冒頭の歌詞が唄のタイトルである場合が多いので、タイトルが違うけれど同じ唄、ということもある。解説本を読むときに、目次から目的の唄を探すのだが、初めのうちは探しきれないことがままあった。ぼんやりと歌詞を覚えてくると、解説本から探すのが早くなり、句の入れ替えによって物語の筋立てが変わることに興味を覚えるようにもなった。
マンチャーになりそうな唄があるのは、1つには八重山が閉じられた世界だったわけではなく、交流の軌跡を示していると言えよう。琉球・沖縄に渡ったり、逆に八重山に取り入れられたりした唄があるだけではない。わたしが属する安室流保存会は、石垣島の字石垣を発祥の地としているが、石垣島の他の村や他の島を題材にした唄もあり、詠われる元の島々、村々では、微妙に島むにの発音も、節回しも違っているようである。
あと1つは、もともと口伝であった影響だろう。唄がうまい人は技巧を凝らしたり、教わった通りに生真面目に唄う人がいたりして、節回しも歌詞もおおよそ一緒で微妙な違いを含みながら唄い継がれた末に、各流派に収斂されていったと考えれば不思議ではない。
いい唄は村をも海をも越え、口伝えされてきた。と思ったら、「ちょっと似ている唄」というのは、いまで言うところのヒットチャート上位曲であって、どうりで粒ぞろいのわけである。