人物描写の視点 | 下原節/唄い継いでいく 5 | 東京から唄う八重山民謡
「下原節」には、西表島の下原村での人間模様が綴られる。詩というより散文的で、第2、3、4句と続くのだが、句ごとに少しずつ弾き手と節回しが変わるために、最初から最後までの工工四が書かれていて、教本では5ページに及ぶ。たいがいの唄は句が変わっても節回しは同じであり、第1句の弾き手と声楽譜が書いてあれば第2句以降は歌詞が変わるだけなので、歌詞の欄を含めても2ページ前後で収まっているのに。
第2句で、怠け者の男が妻ツクンヌブネを捨てて、モーガナという女に乗り換える。しかしモーガナはのろまで、ツクンヌブネのほうがよかったと嘆く。一方、第3句で、モーガナの元夫はツクンヌブネと再婚し、働きの良い妻のおかげで出世する。第4句で、夫婦が力を合わせたこと、とくにツクンヌブネを褒めそやす。とまあ、離婚や再婚に絡めた夫婦仲の教訓歌である。
八重山民謡に出てくる女性といえば、先に言ったように、圧倒的に未婚の若い娘、女童(みやらび)である。またか、というぐらいしょっちゅう出てくる。そうでなかったら、「くいぬぱな節」の嫉妬深い女だったり、「まやぐわ節」の醜い女だったり、「ししゃま節」のはすっぱな女だったり。かわいらしい娘の盛りを過ぎた女性の描かれようは散々である。教本の節歌を見る限りだが、女童も含めて、どうも女性は男性目線のステレオタイプに描かれる傾向にある。
それに対して、モーガナとツクンヌブネには個人としての人柄が感じられる。モーガナはけなされているのではあるが、のろまな人は性別を問わずいる。そしてツクンヌブネの輝かしさと言ったら。おばちゃん(女童の年頃ではないという意味で)が褒められている。そんなツクンヌブネも、夫と対であってはじめて褒められる前提ができ、いわゆる内助の功が称えられているのだから、男性目線で描かれていることに変わりはないのだが、もう一度言ってしまうけれど、おばちゃんが褒められている。びっくり。
祝詞のようなアヨー、労働歌のジラバやユンタが古謡と呼ばれ、それらは主に三線伴奏なしで唄われる(ユンタは三線がつくこともある)。ユンタを改作するなどして、節歌がつくられるようになり、それには三線が導入された。節歌は、その成立のころは、役人を務めた士族階級がつくり、親しんでいたものだ。士族でなければ、なかなか三線を所持できなかっただろうし、練習したり唄を披露したりする時間も持てなかっただろう。
つまり作者不明の唄も多いとはいえ、当時の社会を考えても、節歌は男性士族が制作や改作をしたのであり、女性が男性目線で描かれているのはいたしかたないと言える。じつは男性についても、人柄が描かれた唄は多くはなく、女性と大きく異なる点としては、若者ばかり注目されているわけではないというところか。
概して人物描写は、傍観者的というのか、人物を含めた情景の一場面としてスケッチされているように読める。一歩引いて、あるいは一段上から、村でのあれこれを詠んでいるとは、いかにも役人らしい視点ではある。
では、節歌は役人視点だと一刀両断していいかというと、そう簡単には割り切れない。たとえば「崎山節」は、「崎山ユンタ」から歌詞を変えずに節歌になっているのだから、節歌にはユンタの作詞者の思想ごと踏襲されていることになる。なんで強制移住させられたのか、などという平民の本心の吐露を、役人が引き継いで、節歌に仕立てるべく思案しながら作曲し、唄っているとはどういう心性だろう。階級で見れば、強制移住させられた平民に対して、役人は強制移住させた側なのに。
節歌は教本に載っているだけで105曲。その分析だけでもたいへんだが、ユンタまで手を広げなければ、八重山民謡における人物や心情の描写のコアな部分には迫れない気がする。
わたしはまだ、ユンタは数えるほどしか知らない。東京にいながらどこまでできるかな、とうなだれそうになるが、知らない唄がまだまだあるというのは、知るごとに一歩ずつ八重山に近づけると同義であり、存外幸せなことである。
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