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強制移住とマラリア | 崎山節/唄から文化を学ぶ 7 | 東京から唄う八重山民謡

崎山節[さきやまぶすぃ]
崎山ゆ新村ゆ立てだすシュラヨウ イヌシュラヨウイヌタテダス

玉代勢長傳編『八重山歌声楽譜付工工四全巻』(1989)pp.145-146
※引用は2006年版から

 「崎山節」は、かつて西表島西部にあった崎山村が、開墾によってつくられた史実をもとにしている。

 琉球へ1605年、中国からもたらされた甘薯は、その後、薩摩を経て、さつまいもとして日本全国に広まった。旱魃に強い甘薯は、人々を食糧難からたびたび救ってきた。八重山にも1694年に中国から伝わり、食糧が安定したことから、人口が増えたのだという。

 次第に村や島のなかで食糧が不足するようになったため、耕地を求めて、開墾によって新しい村が切り拓かれた。これを「新村建て」と呼ぶ。

 この新村建て、過酷かつ非情なのだ。

 「崎山節」の第2句以降、どこに、どのように崎山村がつくられたのかが語られていくのだが、その第4・5句に、波照間島から女が100人、男が80人連れてこられたとある。実際には、西表島内から164人、波照間島から280人が集められて崎山村ができたようである。

 亜熱帯の西表島で、根がしっかり張った力強い木々を倒して耕地や住まいを人力で切り拓くのは、想像するだに重労働である。しかも、いまは八重山諸島内は高速船などで行き来できる距離とつい考えてしまうが、この当時は移住したら元いた島に戻ることはほぼできない。つまり故郷や、睦び合ってきた人々との今生の別れというわけだ。

 では、そんな開拓者に誰が選ばれたのかというと、「道切り」と呼ばれる方法で、ある道を境にこっち側の人々は残留し、あっち側の人々は移住せよ、と強制されたのである。1本の道が運命を決めてしまうのであり、道を隔てて住んでいたのなら、恋人同士であろうと無情に引き裂かれた。

 その悲劇を詠ったのが「つんだら節」である。黒島に暮らす恋人同士だった男女は、子どものころから仲が良く、この先もずっと一緒にいられると思っていたのに、女性だけが石垣島に移住させられて、野底村が拓かれた。チラシである「久場山越路節」は「つんだら節」のアンサーソングになっていて、女性が黒島にいたころを懐かしみ、何をするにも、どこに行くにも2人は一緒だったという思い出を切々と紡ぐ。

 この女性の名がマーペーであり、マーペーは恋人がいる黒島を一目でも見たいと野底岳(標高282メートル)に登ったのだが、目の前に於茂登岳(標高526メートル、沖縄県最高峰)が立ちはだかり、黒島を見ることができなかった。失意のうちに山の頂上で石と化してしまったという伝説から、野底岳は「野底マーペー」とも呼ばれる。

 高音の旋律が悲劇性を掻き立てる「崎山節」であるが、新村建てに加えて、その末路さえも崎山村は悲劇的である。多くの労苦をもって開拓されたにもかかわらず、19世紀後半には人口が激減する。マラリアが一因と考えられている。1873年に18戸・64人、1893年には15戸・73人、1897年には13戸・72人、ついに戦後の1948年に5戸・25人で廃村となった。最後まで交通の便が悪く、取り残された村、と言えるだろう。廃村の3年前まで崎山村に暮らし、最後の語り部となったのが先に紹介した川平永美氏である。

 「つんだら節」の野底も、かつてはマラリア有病地帯で、人口減少により1905年に廃村になっている。戦後、1954年に沖縄本島や宮古島などから政府計画移民として新たに入植した人たちによって、現在の野底がある。

 民謡に詠われているのは、琉球王府の命令によって強制移住させられたその時点での戸惑いや悲しみであるが、マラリアに見舞われる恐怖や、次々と亡くなっていく仲間たちを見送る苦しみも、後年唄い継がれるうちに、唄に重ねられてきたのではないかと考えてしまう。

 こうした強制移住の歴史の延長上に、戦中戦後の「移住」もあるだろう。太平洋戦争末期、日本軍の作戦によって、八重山の島々の住人たちはマラリア有病地帯へと避難を強いられた。罹患すると認識しながらの移住である。その結果、地上戦がなかったにもかかわらず、マラリアによって住民の1割に当たる3647人が命を落とした。

 戦後、沖縄本島では、中国大陸や南洋からの引揚者で人口が増加し、また広大な面積を占める米軍用地によって耕地が不足したため、沖縄民政府や米軍政府によって八重山への開拓移民が進められた。当時、すでにマラリアの薬があったにもかかわらず、予備知識がないまま移住した人々の間では、開拓の疲労も加わって、マラリアが流行したこともあった。

 移住者が抱きかかえてきた、圧政と、別れの悲しみと、開墾の労苦と、未知への恐怖と、病魔。その記憶は少しずつ形を変えながらも、わずか70年前まで続いていたことを、唄いながら考えずにいられない。

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