私の文章 という形を許していく
先日、溜まりに溜まった紙のメモをデジタル化して整理しようと、いつもnoteの下書きをするときに使っているiPadのメモアプリを開くと、約1か月前に人生で初めてコンサルを受けたときのメモが出てきた。
それは一番最初にその当時困っていたことを相談したときのメモで、具体的には「完璧主義が邪魔をしてうまく発信ができない」ということと「自分らしい文章が書けない、文章を書くのが全然楽しくない」ということが書かれたものだった。
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情報発信を始めて「○○しなければいけない、○○でなくてはいけない」という思い込みが人一倍強い人間なのだと実感することは増えていた。
その思い込みの中でも一番困っていたのは「文章は論理的に組み立てて読んでくれる人にわかりやすく書かなければならない」というもの。
うまく文章が書けない=発信ができない
と思い込んでいた私は、何度挑戦しても、どれだけ真似ようとしてもできない自分は文章を書くのに向いていないのではないかと自分を責めていた。
そんな孤独感にも似た気持ちを抱えているのがつらくなって「もうこれ一度きりかもしれないし、きっと誰にも読まれないだろうけど、一度だけ自分の楽しかった時のことを書こう」と、ひとつだけ記事を書いた。
今まではめようとしていた型を取り払って、自分の好きなように書いていく。
「あれ、文章書くのって、こんなに楽しかったっけ……?」
そんな気持ちをこの記事を書くことひとつで取り戻すことができたように感じた。
この記事を書いているときがとても楽しかったと報告すると
「今いとはらさんに必要なのは人に読まれる記事を書くことじゃなく、いとはらさんの文章を書くことなのかもしれない。いとはらさんらしさが出てていい記事でした」
と言っていただき、そこから少しずつ、私も私の文章という形を許すことができていったのだった。
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それから約1か月が過ぎた。
たった1ヶ月だけど、あれだけ悩んでいた「文章を書くのが楽しくない」という気持ちは一体どこへ行ったんだろう?と思うほど感じることがなくなったし
「○○しなければならない」という完璧主義も、今はあまり表面に出てこなくなった。
私は私の書く文章が好きだなと感じることが増えて、のびのびと文章が書けている今が一番楽しいと思えるほどになった。
今の私には信頼できる仲間がいて、少しずつ挑戦もさせてもらえるようになっていて、とても充実している。