「テイラー・スウィフトはいなかった」
いよいよ7日目、最後である。
大江健三郎か、大島弓子を考えていた。少し前、たまたま書店で、新潮文庫の棚の前を通ると、大江の本がかなり減っていた。有名作家でも、時代が過ぎると、代表作しか残らない。とはいうものの、大江の代表作って何? 世間は芥川賞受賞作が好きだから「飼育」? いやいや、まさかそんなことはないだろう。大江の場合、代表作ばかりである。
というなかで、その特異な文体が目立つ「個人的な体験」について書こうと思っていた。
大島弓子は、活動期間の短い少女漫画家さんのなかにあって、その例外の一人であり、少女の繊細な感受性というものを描きつづけた作家として、リスペクトをこめて「バナナブレッドのプディング」を。
うんうんうなっているうちに、ふと、自分の本の宣伝をしなければいけないことに思い当たった。
5月13日、私の「テイラー・スウィフトはいなかった」という本が出ました。amazonや全国の書店で予約ができます。
中編が1つ、短編2つを収録。
表題作「テイラー・スウィフトはいなかった」は、
2020年、巷ではテイラー・スウィフトが流れている。が、テイラーが生まれてもいなかった1970年代後半。あのころは、ピーター・フランプトンやボストン、エレクトリック・ライト・オーケストラが流れていた。
高校のクラスメイトは、ヘルメットをかぶり、マスクをして校門でビラを配っていた。私は透明人間のように生息し、詩を書いて投稿し、インベーダーゲームをしていた。
当時、高校生だった私が回想する「テイラー・スウィフトはいなかった」
という小説です。
高校時代の思い出を織り交ぜて書きました。
ぜひ、一家に1冊。
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